第二次チェチェン紛争(1999-)
ロシア連邦軍狙撃兵


 カフカスの冬。
 移動するロシア国防省軍自動車化射撃部隊の狙撃兵。

 赤軍愛好会でありながら、何故ロシア軍を取り上げるのか。疑問に思う方も在ろう。
 しかし何の不思議もない。ロシア軍の軍装は、ソ連軍兵士の在るべき姿の一例なのである。

 確かに新生ロシア軍を象徴するかの様ないくつかの迷彩服や装備品、更には民需品の多用により、兵士達の姿はソ連軍時代とは大きく様変わりしている様に見える。しかし、その多くがソ連時代に開発された物や、その系譜に繋がる物であり、本来はソ連軍兵士が身につけるべき物であった。現在のロシア兵の姿は、未来のソ連兵の姿なのである。


(写真と文章/赤いお母さん)


・軍装解説


 第一次チェチェン紛争(1994-1996)において、ロシア軍は新型の迷彩服を始め、新型装備を多種投入したが、殆どの兵士の軍装はソ連時代の残り物であり、アフガニスタン紛争の延長の様相を呈していた。
 第二次チェチェン紛争(1999-)を迎えると、急速に新型迷彩服を始めとした新型軍装も行き渡り、民需品の装備を多用する事もあり、兵士達の姿もソ連時代とは一線を画す様になる。
 しかしながら、その官給品の多くは、実はソ連時代の在庫であったり、新型であっても開発はソ連時代の物である事が多い。作例を参考に、一例を挙げてみたい。



 1994年型冬季野外服

 1994年、ロシア国防省は新しい服装規定を制定し、その中で夏季・冬季の全軍共通(除く空挺兵用)の迷彩野外服を導入した。
 この冬季野外服は、迷彩パターンと細かな材質の違いを除けば、ソ連国防省が1984年に導入した1984年型冬季野外服(作例)と同じ物。ただし肩章システムの変更から、肩のエポレットが若干短くなっている点に差異がある。


 スコーフィールド/VSR迷彩

 新生(混乱期?)ロシア軍の象徴的な迷彩である。
 デニス・デズモンド(Dennis Desmond)氏が『Camouflage Uniforms of the Soviet Union and Russia』の中で、スコフィールド迷彩もしくはVSR迷彩と呼んだ事から、西側のコレクターや業者間では、その名前が定着してしまった。
 前者の語源は、初めて西側に、この迷彩を著書『Inside the Soviet Army』(1991)で報道したキャリー・スコフィールド(Carey Schofield)氏から来ており、後者はВооружённые Силы России(ロシア軍)の頭文字から来ている。

 新生ロシア軍の象徴的迷彩と書いてしまったが、実のところ、既にソ連時代から存在していたのである。
 前述した様に、西側ではスコフィールド女史によって1991年には存在が報道されており、ソ連国内でも「Советский ВОИН(ソヴィエト兵士)」誌1991年第18号(10月)で新型軍装として取り上げられている。
 その支給が今まさに始まろうとした矢先、ソ連邦ひいてはソ連軍が崩壊してしまったのである。本来は、ソ連軍最終型迷彩と呼ぶべきパターンである。

 染めた生地に2色のパターンをプリントして作られた3色迷彩で、プリントする染料の色は同じで、生地の染め色によって数種類の色調が生まれる。この構成は、先行するブタン迷彩(作例)と同じである。
 一方で、パターンの構造はКМЛКやКЗС(作例)、国境警備迷彩(作例)等に使われた2色迷彩と通じる物があり、まさにソ連迷彩の集大成といった趣がある。

 このソ連最終型迷彩も、21世紀に入った頃から、更なる新型迷彩(通称フローラパターン)に切り替わっていく。


   
    スコーフィールド迷彩の一例。


 1985年型タクティカルベスト

 チェチェン紛争を始め、ロシア兵の多くがタクティカルベストを着用している姿を見かける。ただその多くが一般市場で売られている物で、官給品では無い様である。
 もっとも官給品も存在し、作例のタクティカルベストは官給品である。ソ連時代の写真では見かける事が無く、ロシア時代も第二次チェチェン紛争頃から散見されるタイプの為に、ロシア軍の装備の様だが、実はソ連製である。
 取材したサンプルのスタンプから推測すれば、1985年型と思われる。

 ボディアーマーの様に前後が分割されており、肩の所で紐で連結されている。左右には数組のDリングとリボンが着いており、それで脇を締める。
 各ポケットは黒いプラスティックのボタンと、フタ裏に縫い付けられた布の輪で閉められる。
 本体とポケットのフタの縁は、リボンと共布のバイアステープが縫い付けられている。
 全体的な縫製、部品、生地、染料は、空挺リュック(РД-54)と同じような作りに成っている。



 編上靴

 ソ連軍と言えば長靴型のブーツを連想する。しかしソ連軍も、それ以外の短靴や半長靴を装備しなかった訳ではない。ただ戦闘時に着用する編上靴の支給は滞っており、アフガニスタンに派遣された兵士にすら行き渡らなかった。運良く貸与されても、既に使い古された中古で、帰国時には新たに派遣されてきた兵隊に引き渡さねばならなかったという。
 ロシア軍になると、さすがにそういった事は無くなるのか、編上靴を着用する兵士も普通に見かける様になる。規定上でも、夏季は編上靴、冬季は長靴を着用する事になる。

 ソ連時代の編上靴には複数のタイプがあり、作例の編上靴はソ連末期によく見られた'88年型や'89年型と印字されたタイプの物(下図左参照)。
 因みにロシア時代の編上靴は、このタイプの物を発展させた形をしており、鳩目の数が減り(ロシア軍8個)、上縁にパッドが付けられる等の改良が加えられている(下図右参照)。



(おや?ロシア軍の編上靴の鳩目が9個だなぁ・・・以前、モスクワの中央軍事博物館の売店で買った物なんですが・・・。規定上では8個です)



・模型的解説


 ТАНК(タンク)社のキットは、総じて素晴らしいのですが、このキットはその中でも群を抜いて素晴らしい!ポーズも動きがありながら自然で、現代物だけあって写真や現物資料なども豊富なのか、考証面にも隙がない。
 技術やセンスがどんなに素晴らしくても、再現すべき対象の雰囲気まで作り出せるかは、やはり良質の取材によるものなのでしょう。

 若干、縫い目などに間違いがあり、そこを補正した以外は、素組。
 スリングは0.3mm真鍮線とマスキングテープ2枚重ね、バックルは紙製。マスキングテープはクレオスのレジン用サーフェイサーを吹き付けて塗装しています。

 塗装はシタデルカラーとヴァレホカラー。

 ベースはエポキシパテのマジックスカルプで作り、縁石は3mmプラ棒を切った物を埋め込んであります。
 草はヴァーリンデンのスタティックグラスを細切りにした物を、雪は方解末(9号)を、それぞれ溶いたマットメディウムで固定。


 ・・・迷彩は辛いですね。一度、シンナー風呂に付けてやり直しました。
 少しオーバースケールにするのがコツなんでしょうが、分かっていても上手く行きません。現物を再現しようとすると、雰囲気が逆に出なくって・・・。

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