S・ザローガ著:Uniforms Illustrated No.8 『Soviet Army Uniforms Today』収録の写真(No.7)に写っている国境警備兵を再現しました。 写真のキャプションでは1966年という年しか書かれておらず、どの管区であるかは不明ですが、パナーマ帽からカフカスか中央アジアの国境警備管区だと思われます。 元々が白黒の不鮮明な写真の上に、60年代の国境警備兵に関する服装規定には謎が多い為、可能な限りの推測で成り立っている再現です。 |
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(写真と文章/赤いお母さん) |
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1966年の監視任務に当たる国境警備兵です。 国境警備兵の軍装は、規定制定が若干遅れたり、一部独特の装備があるものの、おおむね陸軍の軍装に準じている様です。又、ソ連軍の軍装は1943年の改訂以後、1969年の改訂まで、基本的な姿を変えていません。 パナーマ帽: 国内外の熱地でも用いられた防暑帽です。通常は開襟・ストレートズボンの熱地服と共に用いられますが、気候によっては通常の常勤服、野外服と共に用いられもします。国境警備兵でこれを被っている事から、南方のカフカスもしくは中央アジアの国境警備管区の兵士だと思われます。 パナーマ帽の形状、生地は年代によって様々ですが、60年代のパナーマ帽は、四枚の三角形布を張り合わせた帽体の頭頂部近くに、各布に3個ずつの鳩目穴が在ったという目撃証言を参考にしました。また鳩目穴も、糸かがりだった構造が、70年代後半に現在の様な金属製の鳩目になる様です。 1943年型ギムナスチョールカ: 大戦中の1943年から1969年の改訂まで、ソ連軍で兵下士官の常勤服・野外服として用いられたプルオーバー式の服。 両肩に脱着式の肩章をつけ、首の内側にはカラーを縫い付けています。 ボタンは保護色に塗装した金属製の物と、保護色のプラスティック製とが在る様ですが、無難に金属製の物を再現しました。 弾倉ポーチ: 7.62mm弾を用いるカラシニコフ銃用弾倉を入れる3ポケット型ポーチです。 これも様々なヴァリエーションが存在する様ですが、60年代にはソ連崩壊まで使われた物と同型の物が存在していた様なので、80年代の製品を参考に再現しました。 双眼鏡: 光学機器には明るくない為に分かりませんが、いくつかのヴァリエーションが在ると思われます・・・が、1/35では分からない範囲です。 この兵士は双眼鏡ケースを携帯しておらず、ストラップで首から提げています。ストラップはソ連軍で一般的な物です。 AK47V型 写真ではAK47を携帯している事はストックの形状等で分かりましたが、詳しい事は不明のままでした。便宜上、V型にしましたが、T型やU型の方が良かったかも知れません。 兵下士官用常勤ベルト: 兵下士官用長靴: 共に戦後一般的な形を再現しました。 |
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1943年の服装規定の改定以来、1969年の改訂に至まで、兵役に付いているソ連陸軍の兵下士官用常勤・野外服は1943年型ギムナスチョールカであった。WW2〜冷戦へと、国際情勢や兵器が移り変わる中、四半世紀にわたりソ連軍陸軍の兵役年限内の兵下士官の姿は一定だったとも言える。 そんな変わらぬ姿の中で、わずかに様相を変えたのが、彼らの両肩に付けられた肩章であった。 ・1943年型肩章 1943年1月6日付で、新型のギムナスチョールカの両肩に付ける肩章が制定された。ロシア帝国時代を連想させるとして、革命以降に廃止された肩章を復活させた、と一般的に言われる有名な命令である。 この肩章は図01の様な形状の物に、色付きの縁飾り(バイピング)が付いた羅紗製であり、服の肩に付けられたループに裏のタブを通し、ボタンホールにボタンを付けて留める物である。トレンチコートのエポレットと同じ構造と言えば分かり易いだろうか。 兵下士官の野外用肩章は、保護色の土台に兵科色の縁飾りが付き、赤いリボンの階級章を縫い付け、保護色のボタンで留める様に成っていた。 一方で、兵下士官の常勤用肩章は、兵科に沿った色の土台と縁飾りが付き、黄色いリボンの階級章を縫い付け、その外側(肩口側)に金色の兵科章と部隊を表す徽章(数字や文字のプレート)を取り付け、金色のボタンで留める様に成っていた。 |
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図01 1955年型兵下士官用肩章 縁飾りが無い事に注目。 |
・1955年型肩章 1955年12月、ソ連国防省命令第225号によって、新しい兵下士官用肩章と着用規定が制定された。 これは1943年に制定された肩章と規定の改良で在った。大きな変化としては、縁飾り、部隊徽章の廃止と、兵科章の取り付け位置の変更である。 この新型肩章(図01)の特徴はリバーシブルに成っている事である。 パレード・外出服に着用する際は兵科色の側を、常勤・野外服に着用する際は保護色の側を上にして用いる。 兵科色の際には金色の兵科章、ボタン、階級リボンを用い、保護色の際には保護色の兵科章、ボタン、赤い階級リボンを用いる。 兵科色、保護色の肩章共に用いる様になった兵科章だが、その取り付け位置が、階級リボンと肩口の間から、階級リボンと取付ボタンとの間に変更された。(図02参照) これにより、取付ボタンよりであった階級リボンの取り付け位置も、肩章中央に移動した。 この1955年型肩章は、兵役年限超(長期勤務:兵役期間を過ぎても軍務に一定期間留まる事)の兵下士官向けに改訂が行われるが(1958年)、1969年の改訂まで変更無く、ソ連陸軍の徴集兵の肩を彩るのである。 (参考文献:『Военная Одежда Вооруженных Сил СССР и России(1917 - 1990-е годы)』) |
・1966年の国境警備兵の肩章 本題の国境警備兵の肩章に移りたい。 国境警備隊はソ連国防省隷属下の組織ではないが、内務省管轄の国内軍と同様に、その服装規定はソ連陸軍におおむね追従している。 国境警備隊独自の兵科色としての緑色があるものの、縁飾りの色(木イチゴ色〜赤色)や兵科章などは、歩兵科〜自動車化射撃兵科に準じている。 一方で、国境警備隊の独自の特徴として、保護色の肩章を用いない様である。 これは1955年型肩章でも同様で、陸軍の兵士であれば保護色を用いる様な服装でも、兵科色の肩章を用いている。 よって図02の様に、1966年の国境警備兵が着用する常勤・野外服の1943年型ギムナスチョールカには、陸軍のパレード・外出服に着用するのと同様の1955年型肩章を用いれば妥当であろう。 ・補足:国境警備兵の肩章〜その現実〜 本来、60年代では1955年型肩章を着用し、70年代では1969年型肩章を着用するのが、国境警備隊の徴集兵であれば当然である。 しかしながら1943年型肩章を用いる60年代の国境警備兵の画像と、1955年型肩章を用いる70年代の国境警備兵(しかも1943年型ギムナスチョールカを着用!)の情報をヴェノーフ同志より提供頂いた。 これらはくだけた写真ではなく、比較的しっかりとした公の写真である。ここまで古い物を用いている姿を、ソ連国防省隷属下の部隊では見た事がない。国防省隷属下の部隊でも、古い物を着用している姿は見かけるが、国境警備隊の方が遙かに長い期間にわたり、組織的に装備品の在庫を消費していたのかも知れない。 |
図02 |
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改修ポイント |
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アランゲル「内務人民委員部部隊対テロ特務隊“スメルシュ”1944年8月」のキットから、パスポートをチェックする兵士を用いています。 ただ顔がいささか年輩なので、再現する写真に合わせて、もう少し若々しい将校のヘッドを取り付けました。腕もポーズを変えたり、手を取り替えたりしています。服も初期化型から、通常型へと改修し、ポーズに合わせてシワを直しました。バックルも変えてあります。 パナーマ帽と双眼鏡は ICM「ソヴィエト・アフガン戦争(1979‐1988):ソヴィエト特殊部隊」から、AKはドラゴン「AK-47/74ファミリー」から流用し、マガジンポーチとストラップ類は自作です。 改修に使用したのはマジックスカルプ(アメリカ製エポキシパテ)。水に溶けるタイプのエポキシパテで、使用感は粘土といった感じ。田宮の高密度エポキシパテの様な水に溶けない、チューインガムの様な使用感しか知らない私は、いささかパニックになりました。慣れると溶きパテの様にも使えるし、繊細な表現には抜群ですが、1/35のシワの表現等には向かないかも知れません。細かく成りすぎて。 ストラップ類はいつもの様にペーパークラフト。双眼鏡のストラップに付いたレンズカバーは、エバーグリーン社のプラペーパーで作りました。 |
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塗装 |
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塗装は水性アクリルカラーのシタデルカラーとヴァレホカラー。 今回、塗装で試したのは皮膚の塗りを、『アーマーモデリング』Vol.76付録のDVDに収録されている「ラッカー塗り(「平田塗り」と私は呼んでいる)」を試した事。 肉色から皮膚色へと段々に、ムラムラヌラヌラと塗り重ねていく技法だが、あそこまでムラムラヌラヌラと大胆には塗らず、肉色の上から皮膚色を、皮の厚い部分には多めに、皮膚の薄い部分には少な目に、薄く塗り重ねて行いました。 これは手軽に、自然にグラデーションが作れて、とても良いです。 |
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ベース |
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ベースはいつも通りに、デコパージュ台と角材を組んで、水性着色ニスを用いて漆の様に研ぎ出しました。 地面はウッド粘土を盛り、鉄道模型用の小石を埋め込んで塗装。ピンバイスで穴を開けて、根気よく鉄道模型用フィールドグラスを植え、ハサミですいた後にドライブラシで着色。 余り写真の雰囲気を再現できなかったのが残念です。 |