1:В.Глинка,Русский военный костюм,Л.,1988,с.222.

 「ギムナスチョールカ」とは、「体操競技者[гимнаст(ギムナースト)]」を語源に「体操シャツ」を意味する言葉であり、軍隊用語として は、1882年から1884年にロシア陸軍で採用された白色の夏の上衣の公式名称が起源となる。この衣服は、1880年代からの軍服のロシア化の一環とし て出現し、その形態はロシアの伝統的なルバーシカを彷彿とさせる立襟であったが、脇寄りの襟開きではなく正面に前合わせがあった。1908年に保護色であ る草緑色(カーキ色)に変わるとともに公式名称は「夏用またはラシャ製行軍用ルバーハ[летний или суконный походный  рубаха]」となったが、帝政ロシア軍内部では日常的に「ギムナスチョールカ」の名称が使用されていた。したがって、一般の兵士は公式名称をほとんど 知らず、日常レベルで用いられていた名称の「ギムナスチョールカ」への嫌悪感が強く、革命後、この名称は帝政的=反革命的と考えられて、公式には用いられ なかった。一方、労農赤軍は、皮肉にも帝政陸軍で革命直前に用いられた公式名称である「ルバーハ」を公式名称としていたが、1935年に階級制の復活とと もに帝政時代への嫌悪感が和らぐと「ギムナスチョールカ」を公式名称とした。したがって、『軍服画報』で述べられているように「ルバーハ」と「ギムナス チョールカ」の呼称の違いはデザイン上の違いによるものではない。

 S・A・クラシュコフ、「第2次世界大戦のロシア軍軍装」、アームズマガジン4月号別冊『軍服画報』、1998年、41〜42頁。

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2:О.В.Харитонов,сост.,Иллюстрированное описание обмундирования и знаков различия Советской Армии(1918-1958),Л.,1960.с.25-26,39.

 1943年に制定された立襟の上衣は、一般的に「ルパシカ」または「ルバーシカ」と呼ばれているが、公文書中では、折襟と同じ「ギムナスチョール カ」という呼称が用いられている。当時の軍当局は、形態が異なっていても、その呼称が同じであることに全く不都合を感じていない。というのは、この呼称は 単に上衣を示すに過ぎないからである。したがって、公式には、折襟のものが「1935年型ギムナスチョールカ」、立襟のものが「1943年型ギムナス チョールカ」と呼ばれている。ところが、公式名称では、会話や取り引きの上で衣服の形態をイメージすることが難しいので、「立襟=ルバーシカ」というイ メージが一般的に強いことを利用して、折襟のものだけをとくに「ギムナスチョールカ」と呼び、両者を区別したのはコレクターや業者の知恵であるようだ。

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3:Anton Shalito, Ilya Savchenkov & Andrew Mollo, Red Army Uniforms of World War ・, London, 1993. 《MILITARIA MAGAZINE》の仏語版や英語版での各号など。また、最近のものでは、S・A・クラシュコフ、前掲記事、40〜47頁。

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4:現サンクト・ペテルブルクの「赤旗勲章受勲、砲兵・工兵・通信兵軍事史博物館」。

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5:Харитонов,там же.

なお、この本は1991年になってロシア語の再版(但し、1918年から1945年のみ)と英語版が出版された。

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6:Albert Seaton, The Soviet Army, Reading, Berkshire, 1972, pp. 25, 33,35-36.

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7:Andrew Mollo, Army Uniforms of World War 2, London, 1973/1974, pp. 53-57, 181.

参考文献に挙げているのだから、ハリトーノフの本を用いていると思うのだが、その割には、出版年が1958年と誤っていたり、1939年当時の上 衣、すなわち「ギムナスチョールカ」を「ルバーハ[rubaha(なぜ、rubakhaでないのだろうか)]」としたり、外套、すなわち「シーネリ [шинель]」を「カフタン[kaftan]」などとして、ハリトーノフの本の中での用語と異なっているのはなぜだろうか。彼は亡命ロシア人の子孫で あるから、ロシア語には比較的堪能だと思われるが、時折不可解なロシア語表記上の誤記をすることがある。

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8:Guido Rosignoli, Army Badges and Insignia of World Waw 2, Book 1, Poole, Dorset, 1972/1974.

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9:Andrew Mollo, The Armed Forces of World War ・, New York, 1981.

この件に関するコンバットマガジン、アームズマガジン、グラフィックアクションなど日本のミリタリー雑誌での紹介記事は残念ながら全く進歩がない。 また、ソ連崩壊後に出版されたものも同様である。石山俊浩・アナクロニズム45『第二次世界大戦軍装ガイド 1939〜1945』新紀元社 1996年、 67〜68、73ページ。S・A・クラシュコフ、前掲記事、43頁。

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10:Rosignoli, op. cit. , plate 55, 57, 61, page 181-182, 184, 189.

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11:Elio e Vittorio Del Giudice, L`ARMATA ROSSA E LE SUE UNIFORMI (1917-1945), Milano,1976., pp. 104-111, 144-148, 180-183.

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12:Steven J. Zaloga, The Red Army of The Great Patriotic War 1941-5, MAA 216, London, 1989.

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13:Anton Shalito, et. al. , op. cit.

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14:Gerard Gorokhoff, Les uniformes de l'armee sovietique, 1941-1945, MILITARIA MAGAZINE No.10, p.17.

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15:Robert F. Stedman, Infirmiere de l'Armee Rouge a Stalingrad, 1942, MILITARIA MAGAZINE No.125, p.12. ; Robert F. Stedman, Red Army Nurse in Stalingrad, 1942, MILITARIA MAGAZINE No.23, p.12.

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16:Павел Липатов,Униформа Красной Армии и Вермахта,М.,1995.

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17:Харитонов,там же,с.26-27.

とくに指定していない限り、1935年に制定された襟章については、この注で示された文献に基づいている。

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18:Там же,с.29.

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19:Там же,с.34.

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20:Там же,с.28.Липатов,там же,с.3.

とくに指定していない限り、1936年に制定された徽章については、この注で示された文献に基づいている。

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21:Липатов,там же.

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22:Там же.

通信兵の徽章は現在でも同じデザインのものが使われているが、これを通称「ハエちゃん[мушка]」と呼ぶ。

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23:Харитонов,там же,с.29.

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24:Там же,с.43.

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25:Там же,с.14,табл.29,рис.16.Липатов,там же,с.3.

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26:Харитонов,там же,с.34,36.Алексей Степанов,

Генералы Красной Армии 1940-1943(1),ЦЕЙХГАУЗ(3),1994,с.45.

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27:Липатов,там же,с.4.

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28:Там же.

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29:Там же,с.7.

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30:Харитонов,там же,с.35.

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31:Липатов,там же,с.18.

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32:Там же,с.21.

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33:Там же,с.8.1941年に戦死した第63射撃兵軍団長(第21軍司令官に任命されていた)Л.Г.ペトローフスキイは、中将 [генерал-лейтенант]の階級が与えられ、無線でそれを伝えられたが、彼は軍団指揮官[комкор]の襟章を付けていた。

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34:Там же,с.23.

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35:Janusz Magnuski & Maksym Kolomijec, Czerwony Blitzkrieg, Warszawa, 1994, s. 68-73.

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36:Советский воин(17),1991,с.68,70.

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37:Советский воин(18),1991,с.22.

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38:А.А.Гречко,Годы войны 1941-1943,М.,1976.

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39:Советский воин(7),1991,с.22.

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40:Paul McDaniel & Paul J. Schmitt, The Comprehensive Guide to Soviet Orders and Medals, Arlington Virginia, 1997, p. 85.

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41:Советский воин(21/22),1991,с.22.

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42:Гречко,там же.

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43:Paul Carell, Der Russlanndkrieg; Fotografiert von Soldaten, S. 397.

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44:Magnuski, et. al. , op. cit. , s. 68.

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45:McDaniel, et. al. , op. cit. , p. 151.

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46:Paul Carell, op. cit. , S. 389.

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47:Советский воин(6),1991,с.23.

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48:Гречко,там же.

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49:Липатов,там же,с.17-18.

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50:Там же,с.18.

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