その特異で印象的な形状と迷彩から人気が高く、日本でもレプリカが作られた1979年型国境警備兵用迷彩服を着装した姿を再現した。 ミニアート社のキットを元にスクラッチ。 駐屯地と警備ポストの間を移動している様子を想定している。 制作当時の2007年から17年が過ぎ、当時は不明だった点も徐々に明らかになってきた為、改めて軍装解説を書き直した。 とはいえ、典拠元を明記したり、公文書を掲載している刊行物が豊富な国防省の軍装に対して、ソ連国家保安委員会(КГВ)、ロシアでは現在は連邦保安庁(ФСБ)に所属する故か、国境警備隊の軍装に関する一般向けの刊行物は乏しく、web上でも退役兵の証言や典拠が不明な情報がほとんどである事は注意を要する。 |
(写真と文章/赤いお母さん) |
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・国境警備隊用1979年型軍装について KGBに属する国境警備隊の軍装は、総じて国防省傘下の陸軍に準じている。 大きく違う点は、国境警備隊には「野外軍装」区分が無い様で、野外の任務においても、「常勤軍装」区分の軍装をしていた点である。 よって、国境警備兵は陸軍の1969年型兵下士官用常勤・野外服を着用し、色付きの徽章類を身に着け、制帽を被っていた。そして必要とあらば、その上から迷彩ツナギ(КЛМК)を用いた。 1970年代後半から'80年代前半にかけて、国防省では野外服の試行錯誤が行われたが、国境警備隊でも同様の動きが見られた。それが、この1979年型軍装を初めとする被服の制定である。 先ずは、1977年に国境警備隊用の「パナーマ帽」と、「冬季用迷彩防寒服(タイプА/Б)」が導入された。 熱地服に対応するパナーマ帽は無地と迷彩の二種類があり、既存の物とは形が違った。 迷彩防寒服は、その構造からタイプАが通常型、タイプБが寒冷地型であろう。 そして1979年に新型の夏服が導入された。 このモダンな裁断の'79年型の夏服には、通常型(タイプА)と熱地型(タイプБ)の2種類があり、更には無地と迷彩が、生地も「3221」「3225」の2種類があった。 恐らく同時期であろう、タイプАに合わせる為の「迷彩ベレー帽」も導入されている。 最後に夏期野外用の被り物として、1982年に「目庇付ベレー帽」が導入された。 既存の制服や制帽と併用される形で用いられた1977年型及び'79/'83年型軍装であったが、1980年代半ば以降、国防省が陸軍常勤・野外服を全兵科共通軍装(所謂「アフガンカ」型)に収斂させていくのに国境警備隊も追従した事で廃止された。 1982年型目庇付ベレー帽 この迷彩の目庇付ベレー帽は、本来は1979年型迷彩服の熱地服(タイプБ)に、パナーマ帽と併用する事が想定されていたと思われるが、実際にはタイプАにも用いられているし、アフガンカとも用いられている。 本来、タイプАには迷彩ベレー帽の着用が想定されていた様だ。 目庇付ベレー帽には、ピロートカやパナーマ帽、迷彩ベレー帽と同じ略帽用の赤星が取り付けられた。 制帽用の花冠付赤星を取り付けている例も散見される。 この帽子は以前より国境警備隊の「クラッシュキャップ」とコレクターの間で呼ばれていた。確かにそう思わせる着装外観であるが、帽子自体の形状は「目庇付ベレー帽」という表現が的を射ており、ベレー帽に目庇と顎紐を取り付けた構造をしている。 実際、目庇を内側に折り返して、ベレー帽の様にして被る事も出来たし、中には貸与品にもかかわらず、目庇を切り取ってしまう者も居た様だ。 目庇付ベレー帽(Берет с козырьком)という名称に特異な意味を見いだしてしまうが、これは広義の「ハンチング帽」を指すロシア語表現に過ぎない。 日本では古くはレーニン帽と呼ばれた形の帽子も含まれ、そのイメージは共通するのか、部隊内でも「イリイッチのケプカ(кепка Ильича)」と呼ばれていた様だ。 他にも国境警備隊の制帽を指す「カラツポフカ(карацуповка)」、彼らの迷彩服を指す「パグランツォフカ(погранцовка)」といったスラングでも呼ばれたという。 参考: 「Солдаты ПВ КГБ СССР в беретах с козырьком」 1979年型夏期国境警備隊服(タイプА/迷彩) 前述した様に、この制服には通常型(タイプА)と熱地型(タイプБ)の2種類あり、更には無地と迷彩が、生地も「3221」「3225」の2種類があった。 作例では、最も一般的な迷彩生地の通常型を再現した。 国境警備隊用には野外軍装にあたる区分が無い様で、この制服も区分は常勤軍装である。 それ故に、襟章と肩章の台座は兵科色の緑、兵科章は金色、階級リボンは黄色、肩章台座には金色(実際は黄色)のプラスティックで「ПВ」の文字がプリントされている。 '79年型は、前世代の'69年型と次世代の'82/'83年型アフガンカとの過渡期とでもいうべき服である。 縫付式の肩章と襟章、ホック付襟の形状、露出型のボタン、膝当は'69年型的であり、一方で全体の裁断はアフガンカ的である。更には様々な特殊被服の要素も感じられる。 ジャケットの構造は作例の通りである。 見えにくいが左右のウエスト部にベルト通しがあり、その部分に脇を締めるゴムが縫い込まれている(補図A参照)。その工夫の反面、アフガンカにはあるウエストと裾のサイズ調節用締紐は付いていない。 左右の胸ポケットは、それぞれ二つの小さなポケットに分かれており、拳銃用弾倉入れの様な構造である。 袖のポケットは露出ボタン式とベルクロ式とがある。 露出ボタンは、カーキ色のプラスティックで、形状は'69年型と同じ。 ズボンはストレート裁断で、裾はアフガンカと同じ形状だが、サイズ調節用締紐が無い。 興味深いのはポケットで、左右の腰部分にフタ付の細長い貼付ポケットだけがある。その他は、一切のポケットが無い。このポケットは、AKの弾倉が入れられる。 その他装備類 その他の装備類は、陸軍と同様の物である。 ・兵下士官用常勤ベルト ・兵下士官用長靴 ・AK74 ・水筒 ・飯盒 水筒に取り付けてあるのは名札で、ニスを塗ったベニヤ等で作った板に階級や名前等を書き込み、糸留めしてある。 水筒はアルミ製で、塗装仕上げの物と無塗装の物とを再現した。 |
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補図A |
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今回はミニアートのキットを元に、スクラッチしました。 AKと飯盒はドラゴン、水筒はICMのキットから流用して改造しています。 この原型師のフィギュアは総じて出来が良いのですが、特に服の下のデッサンが素晴らしいので、改造用素体としても大変重宝します。大幅に服の構造を変えても、シルエットが崩壊しないのです。 ただ若干首が長すぎたり、胸板が薄いのが好みでは無かったので、修正しています。 ・・・本当は、こんなにいじる予定では無かったんですけども・・・。 因みにこちらの作例と同じキットを用いています。 改造は既製品のプラ材や伸ばしランナー、エポキシパテ、ラッカーパテを用いています。補強材とAK用スリングのDリング以外には、一切金属素材を用いていません。 エポキシパテは、タミヤの速硬化タイプと高密度タイプ、マジックスカルプを使用。色々と試して見たのですが、一長一短ですね。 速硬化タイプは柔らかくて扱い易いのですが、硬化後はボソボソと粉っぽくて加工しづらいので難があります。主剤と硬化剤とを混ぜた後、しばらく於かないと食い付いてくれないというのもやっかいです。 マジックスカルプは水で溶ける粘土タイプで、柔らかいし滑らかですが、食い付きが悪いです。弾力性が無いのは好みの分かれる所です。硬化後はクレオスのプラパテの様な小麦粉っぽい仕上がりです。1/35の改造用には向かない様です。 堅めなのが難ですが、やはり高密度タイプが、私は一番使いやすいですね。 因みに、この撮影後、溶きパテで修正と仕上げをしています。 |
塗装はいつもの通り、シタデルカラーとヴァレホカラー。最期にパステルで仕上げをしています。 しかしソ連の二色迷彩は難題で、今回も余り納得がいっていません。 しかもM79に用いられている色は、もう少し全体に色彩が暗く、茶色がかっています。なかなか色を捉える事が出来なかった上に、スケールエフェクトに失敗した気がします。 ベースは石粉粘土に砕いた鉄道模型用の小石を埋めて、乾燥後にフィールドグラスをシーナリーボンドで接着。 いつもは木粉粘土を使っていたのですが、この粘土、塗装すると反るし、乾燥後にひびが入りやすいのです。試しに石粉粘土の「PLUS」を使ってみましたが、なかなか良好です。反りやひび割れも無いですし、質感もいい感じです。ただ当然堅いので、乾燥後の加工は難しいですし、重量もあるのが好みの分かれる所でしょうか。 |