冬季野外軍装を身につけ、122mm榴弾砲D-30の弾頭を抱え、砲弾箱の前でポーズを取る兵役期間内の砲兵科の兵卒(рядовой)。 身につけた徽章類から、1974年から1982年頃までの設定である事が分かる。 1970年代から'80年代の外套を着用した兵役期間内の軍人(徴集兵)の野外軍装の典型例を示した。 |
(写真と文章/赤いお母さん) |
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・1969年型徴集兵用外套 1969年の服装規定改定に伴い、徴集兵用の外套には改訂が加えられている。 先ず、着脱式肩章から縫付式肩章への変更が挙げられる。 また、外套生地には少し黒ずんだラシャが使われ、以前の物と比べるとウール繊維の保有量が増えた。ウールに混ぜられる混紡繊維も、木綿の代わりに10%のカプロンが使用されている。裁断も改善され、より腰回りがタイトなラインに変わった。更には床から外套の裾までの距離が、ソ連陸軍の徴集兵と軍学校の学生は、(サイズ次第で)29〜32cmと決められた。これにより外観、保温性、利便性が向上した。 徴集兵用外套は、徴集兵用のパレード/パレード・外出/常勤/野外軍装の各カテゴリーに含まれるという特異な服装である為、全ての軍装時共通の着用方法で使用された。 即ち、兵科色の肩章(階級リボンは黄色)、金色の兵科章付襟章、兵科袖章、各種勲功袖章を縫い付けて着用した。 更には左身頃に、5つの飾り制服ボタンを取り付けた(外套自体は、ホックで前を留める為、完全なる飾りボタン)。後には、背面の裾スリット右側に、小さな制服ボタン3つ(学生用は4つ)が取り付けられる。この小さな制服ボタンも、完全な飾りである。小さな制服ボタンの取付開始時期は不明で、作例では取り付けていない。 ただし着用方に例外があり、戦時と全軍演習の際は、肩章、襟章と兵科章は保護色の物を着用し、それ以外の兵科袖章、勲功袖章、飾りボタンは取り外した。 |
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・1973型兵科色肩章 1969年に従来の着脱式肩章に代わって、新型の縫付式肩章が導入された。兵下士官(徴集兵、長期勤務兵問わず)は通常、外套にはラシャ製の兵科色(砲兵科は黒)の肩章を用い、前述した様に、戦時と全軍演習の際のみ、保護色の肩章を用いた。 兵科色の肩章には、階級章として黄色いリボンが縫い付けられた(兵卒:рядовойは何も付けない)。 保護色の肩章には、赤いリボンが用いられた。 当初、徴集兵の外套の兵科色肩章には、金色のアルミニウムで出来た「СА(ソ連陸軍の頭文字)」の文字を取り付ける事になっており、一方で長期勤務兵の肩章には、「СА」の文字を用いなかった。 1973年1月に、外套の「СА」の文字は黄色い人造ゴムのプリントに簡略化された。 肩口から25mmの位置に、高さ25mmの「СА」の文字がプリントされた(因みに、金属製の文字は、肩口より15mmの距離、高さは32mm)。ただし、曹長(старшина)のみは、「СА」の文字がプリントされて無い物を用いる。 尚、1988年の服装規定の改訂時に、「СА」の文字と階級リボンの取付位置に変更が加えられている。 ・外套用兵科色襟章と兵科章 ソ連陸軍の全ての軍人(除く将官)は、襟章を必要とする服に、金属製の兵科章を取り付けた襟章を縫い付ける事になっていた。 外套にも襟章を縫い付ける事になっており、通常の襟章は長さ65mm・幅28mmのサイズであるが、外套用の襟章は長さ85mm・幅33mmと、大きなサイズの専用の物を使用した。 外套用襟章には肩章と同様に、兵科色と保護色の物が存在する。兵科色の襟章には金色のアルミニウム製兵科章を打ち付け、保護色の肩章には保護色の鉄製兵科章を打ち付ける。前述した様に、通常は兵科色と金色の物を着用し、戦時と全軍演習の際のみ保護色の物に付け替えた。 ・1969年型兵科袖章 ソ連陸軍の徴集兵・軍学校の学生は、背広型のパレード・外出服と外套に、兵科色のラシャの上に盾と槌鎌付赤星、兵科章がプリントされた袖章を、縫い付ける事に成っていた。 袖章は左袖、肩口より120mmの位置に取り付けた。 戦時と全軍演習の際は、取り外した。 砲兵科の兵科袖章 |
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・兵役勤務年数章(нашивка по годам службы) 1982年から'74年の間、徴集兵は外套の右袖に、兵役何年目であるかを表す袖章を縫い付けていた。 これも戦時と全軍演習の際には、取り外してしまった。 (詳しくは別頁参照) ・手袋 徴集兵は冬季に茶色の手袋を着用する規定が定められていた。徴集兵用の茶色の手袋には二種類在り、ニット製の五本指の物と、人指指も独立したミトン手袋とである。 国防省が発行する『軍服着用規定(Правила ношения военной формы одежды)』では、茶色の手袋としか指定しておらず、1969年規定を元にした'70年版のイラストでは、外套を着用する際は、パレード軍装であろうが戦闘時であろうが、三本指のミトン手袋が描かれている。しかし'73年規定を元にした'74年版では、パレード/パレード・外出軍装時には五本指の、常勤/野外/作業軍装と戦時には三本指の手袋が描かれている。 作例では、野外軍装に合わせて、三本指のミトン手袋を再現した。 この手袋は、親指と手の内は背嚢と同じ生地、手の甲は茶色の綿フランネル、内張は外套の生地で作られている。 ・AKM ・ガスマスクポーチ(1967年型Aタイプ) ・AK用マガジンポーチ ・徴集兵用常勤ベルト ・徴集兵用ブーツ 特に特筆すべき事は無いが、ガスマスクポーチとマガジンポーチには、ニスを塗ったベニヤ製名札が縫い付けられている。 規定上では野外軍装の際には、ベルトは保護色の野外ベルトが用いられるハズだが、外套には常勤ベルトを身につけるのが一般的の様だ。 |
以前より'70年代から'80年代の外套姿のソ連兵士を作りたいと思っていたところ、出来の良いキットがミニアートから発売されたので、それをベースに制作する事とした。 「何故そんなマニアックなフィギュアを作るんです?」と、参加した東京フィギュアソサエティの例会で尋ねられたが、こちらにとってはベーシックで、オーソドックスじゃ(笑)。 キットはSU-76Mに付属する76.2mm砲弾を抱えた大祖国戦争中の砲兵で、これを122mm砲の弾頭を抱えた冷戦時代の砲兵に改造した。 使用したパーツは、ミニ・アートの他には、ヘッドはTANK、弾頭はスキッフ、AKMはICMから流用し、手を加えた。 制作には、各種プラ材とエポキシパテを使用。 画像で白く写っている部分がエバーグリーンのプラ材を使用した所。灰色の部分はイエローサブマリンのプラペーパー、黄色い部分はタミヤのエポキシパテ速硬化タイプ、白灰色の部分がマジックスカルプを、それぞれ使用した所。 他にも伸ばしランナーやら、真鍮線、針金などを使用している。 |
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外套は1/35では大戦型も1969年型も外観にさした変化は無いが、キットの外套は裾が長すぎる為、規定に合わせた長さにカットした。 外套の飾りボタンは、ビーディングツールでプラ材を打ち抜いて制作。 その他、縫い目などをディテールアップ。またキットの腰ポケットの形は間違っているので、大戦型で作るにしても、修正する必要がある。 |
ヘッドはTANKの物を使用したが、防寒帽の頭頂部の形が、大戦型にしても間違っているので修正した。 更にマジックスカルプで帽章を追加し、また現用型としては耳垂れの形が気にくわなかったので、ここも修正した。耳垂れの結び紐も、伸ばしランナーで追加した。 |
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AKMはICMの物を、少しディテールアップ。 スリングはマスキングテープで制作。リング部分などは真鍮線や針金、バックルはプラ材で。 接着剤は瞬間接着剤を使用し、最後にサーフェイサー(今回はタミヤ製)を吹き付けてやれば、マスキングテープとはいえ早々に剥離する様な事はない。 AKMとスリングとの接着は、シーナリーボンドを使用。 艶消しの木工ボンドといった感じだが、速乾性もあるし、弾力性と伸縮性が強く、多少引っ張っても取れません。 |
122mm榴弾砲の砲弾ケースは、当初はスキッフのキットをディテールアップするつもりであったが、フルスクラッチした方が早い事に二時間ほど格闘した末に悟った。 各種プラ材と針金を組み合わせて制作。 スキッフのキットを元に寸法を決めたのだが、砲兵と会わせた時に、イメージよりも少し小さい気がする。ただ写真資料などに写っている兵士の身長が、かなり低い可能性も高い。因みにキットの兵士は35倍すると、身長175cmになる。 |
ベースはマジックスカルプに、鉄道模型用のバラストやハーブティーの葉などを蒔いて制作。 |
塗装はシタデルカラー、ヴァレホカラー、タミヤアクリルを適当に混ぜて使用。溶剤は水、ペンチングソルベント、アクリル溶剤を、これまた適当に混ぜて使用した。 その他添加剤としては、外套のウール素材を表現したくて、塗料にシッカロールや炭酸マグネシュウムを混ぜた。 今回はパステルは一切使っていない。 |