戦車という兵器が戦場に現れるようになって以来、各国は戦車搭乗兵向けに、様々な被服を考案し、導入し、支給して来た。それは搭乗員の安全性と利便性を向上させる為、様々な工夫の凝らされた特殊な被服として形に成った。 ソ連も他国と同様に、搭乗員向けの特殊な被服を世に送り出し、その特徴的な形状をした戦車帽を筆頭に、社会主義陣営のみならず、多くの外国軍に影響を与える事となる。 ここでは、1972年にソ連軍に導入され、改良を加えながらも、戦車搭乗員のみならず、同様の任務をこなす車両搭乗員によって使用され、未だに旧ソ連圏を初めとする国々で使用されている1972年型戦車兵用特殊服(以下1972年型戦車服と略)と、その派生系について述べたい。 |
目次 |
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1.1972年型戦車服の導入 1-1.1972年型夏用戦車服の詳細 1-2.1972年型冬用戦車服の詳細 1-3.1972年型戦車兵用ベレー帽 2.1972年型戦車服の改訂('80年代〜) 2-1.改訂内容 2-2.改訂時期 2-3.冬用戦車服の改訂 2-4.戦車兵用ベレー帽の改訂 3.1985年型毛皮裏地戦車服の導入 4.謎の冬用戦車服 5.参考資料 |
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1.1972年型戦車服の導入 |
1972年4月27日付、ソ連国防省命令第92号により、夏用木綿製コスチュームと冬用綿入れ木綿製コスチュームが戦車兵の為に導入された。 夏用、冬用共に、ジャケットとズボンの二部式で、黒い木綿生地で作られていた。 着用に際しては、夏冬共に、常勤用の縫付型肩章を用いた。 |
1-1.1972年型夏用戦車服の詳細. |
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・木綿製ジャケット 隠しボタン(除く第一ボタン)のシングルジャケットで、襟は折り襟で襟留フックが付き、肩には縫付型肩章を取り付けた。 身頃には直線のヨークが施され、それと平行してタレブタ付きのスリットポケットが左右の胸に付いていた。 左胸ポケットは拳銃携帯用で、タレブタに加えて、ジッパーで閉めるスリットポケットに成っている。ポケット自体が、人工革のピストルホルスターに成っていて、拳銃の重さで服がゆがまない様に、二本の吊り平紐で補強されていた。 右ポケットの上に、対角線が85x50mmの黒い菱形の胸章が縫い付けられていた。この黒い菱形胸章には、金色(実際には黄色いプラスティックプリント)の戦車が描かれていた。 袖口には、ボタン留めのカフスが付いていた。 |
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・木綿製ズボン ズボンはストレートカットで、ミシン留めされた五角形の膝当が縫い付けられ、裾に足掛け用の布紐が取付けられていた。 ズボンの前面には、上下左右に4つのスリットポケットが付いていた。 上のポケットは共布で縁が施され(左画参照)、下のポケットにはタレブタが付いていた。 ウエストにはベルトループが在り、専用の布製ベルトが通された。ベルトは金属製のシングルピンバックルで留められ、ループ(定革・遊革等)は存在しない。 |
上部スリットポケット |
・着用について ハッチを通った戦車の乗り降りに便利な様に、ジャケットの裾はズボンの中に、たくし込んで着用された。これによって、外見的には一部式(ツナギ)の様に見えた。 ジャケットの前ボタンは全て留めて着用される事と成っていたが、先任指揮官の判断で、第一ボタンを開けて着用する事も許された。 ズボンの裾は長靴の中に入れて履く事とされた様だが、裾を出し長靴に被せる様にして履く例も多く見られた。 |
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・綿入れ木綿製ジャケット 隠しボタン(除く第一ボタン)のシングルジャケットで、(毛皮襟の下に隠れる)襟は折り襟、襟の後ろにボタン留めのフードが取り付ける事が可能で、肩には縫付型肩章を取り付けた。 キルティングされた起毛素材のボタン留めの脱着式綿入れ(ライナー)を内側に着用した。人工毛皮製の襟は、この綿入れの襟である。 ジャケットの裾にはベルトループが在り、専用の布製ベルトが通された。ベルトは金属製のシングルピンバックルで留められ、ループ(遊革)が付いていた。 (左画像参照) 袖口には、サイズ調整用の小さな共布のタブと、ボタンが2つ付いていた。 |
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・綿入れ木綿製ズボン ズボンはストレートカットで、腰はキルティングが施されたハイウエストで、裾に足掛け用の布紐が取り付けられていた。 ズボン前面には、左右にタレブタ付きのスリットポケットが付いていた。 キルティングされた起毛素材のボタン留めの脱着式綿入れ(ライナー)を内側に着用した。 ズボンの裾は、長靴の中に入れて履く事とされた様だが、外に出して着用する例も多く見られる。 |
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1-3.1972年型戦車兵用ベレー帽 |
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戦車兵用コスチュームの一部として、ベレー帽が導入された。 戦車兵用のベレー帽は黒いウール製で、裁断はソ連軍の他のベレー帽と同様に、天頂部と側部から成っていた。 本来は縁を折り込んだ裁断で、別布の縁飾り(バイアステープ)が無い仕様であったが、実際には縁飾りの付いた製品が部隊に納入された。結果として海軍歩兵用ベレー帽と見分けの付かない製品となった。 ベレー帽の前方中心部には、制帽用の帽章が付けられた。 1974年4月9日付国防省命令第85号により、兵役期間内の兵下士官用の帽章が、赤星から月桂樹の花冠付赤星に変更されている。 |
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2.1972年型戦車服の改良('80年代〜) |
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1980年代初頭から、ソ連軍は大きな軍装品の改変期を迎える。これは諸外国駐留軍(含むアフガニスタン)による使用経験からの要請と同時に、戦車や航空機と言った兵器類の変換作業が進み、被服と言った二次的な備品に手を付け始めたからという側面も指摘されている。これらは最終的に「1988年軍装着用規定」として編纂される事となる。 1972年に導入された戦車兵用のコスチュームも、この改変の波を受けつつ、1991年のソ連崩壊と、その後に続く時代を生き延びて行く事となった。 |
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2-1.改訂内容 |
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この時期における戦車服の大きな変化は、 ・肩章が、縫付型からエポレット型へ ・布地の色が、黒から保護色・迷彩色へ が挙げられる。 |
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また、布地の保護色化に従い、夏用木綿製戦車服に付く胸章の色も又、保護色の物へと変更された。 |
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2-2.改訂時期 |
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これらの改訂が成された製品には、下記の全ソ国家規格(ГОСТ)の番号が振られており、よって改訂された戦車服を1981年型と呼ぶ事が出来よう。 |
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夏用戦車服: ГОСТ24870-81 “軍人用夏季特殊服”(内、Г型が戦車兵用特殊服) 1981年6月30日 仕様の認可と導入 1983年1月1日 施行 1987年8月20日 1993年1月1日まで延長決定 冬用戦車服: ГОСТ24913-81 “軍人用特殊防寒服” 1981年8月14日 仕様の認可と導入 1983年1月1日 施行 (注:技術規定書内には、戦車兵用とは特定していない) |
上記のГОСТによれば、一連の改訂が、1981年には導入され、1983年には施行される様に求められた事が分かる。 しかしながら、生地の保護色化に関しては、ロシアの研究者からは、1982年であるとする説が出ている。 例えば、雑誌『Цейхгауз』に、根拠はつまびらかにされていないが、1982年に保護色の軍装が現れたという記述が見受けられる(No.1 p.44)。 確かに上記のГОСТ以前の技術規定書を変更する形で、保護色の生地やエポレット型肩章が導入され、施行されている可能性はあるが、これらに関しては資料を閲覧できておらず、何とも言えない。 またГОСТとして規格化される以前に、試作品・先行生産品として、上記の(或いはそれ以上の)改訂を加えた物が、軍の依頼で納入されている可能性も在るだろう。 逆に、実際には様々な都合で、古い規格で生産が続けられた可能性も高い。そして新型軍装品が部隊に納入されたとして、それが使われるのが何時になるのかは現場次第である。 とはいえ、1980年代後半には、この新しく改訂された戦車服を着用した戦車兵や車両搭乗員を、宣伝写真等で見かける様になる。 なお、ソ連時代の画像及び現物資料で、私自身は迷彩色の戦車服を見た事がない。もし御存知の方がおられたら、御教授賜りたい。 更にはГОСТとそれに基づく技術規定書は、この規格を元に作りなさいという指針に過ぎず、納入先(軍・部隊)の注文や、生産者側の都合(部品の在庫状況等)で、規定書からは外れた製品も生み出される可能性がある。 そういった理由からなのか、それとも試作/先行生産品なのかは分からないが、現に、生地は保護色ながら、肩章は縫付型のままという製品も散見する。 |
2-3.冬用戦車服の改訂 |
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これまでは夏用及び冬用戦車服の改訂について記した。 しかし、非常に興味深く、外見上も大きな改訂が、その後の冬用戦車服に対して行われている。それはジャケット裾にあるベルトの改訂である。 ГОСТ24913-81 変更第4号(1989年9月 認可)により、裾周りに付いていたベルトループと布製ベルトが廃止され、裾の内部を通すフック式のベルトに改められた。(下画像参照) |
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よって、このタイプの冬用戦車服(正確には特殊防寒服)を1985年型改もしくは1989年型と呼ぶ事が出来る。 尚、技術規定書では、袖口のボタン留めタブは残されているが、廃されている製品も見受けられる。 |
2-4.戦車兵用ベレー帽の改訂 |
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先述した雑誌『Цейхгауз』(No.1 p.44)には、1982年に他の軍装と共に、保護色の木綿製ベレー帽が現れたという記述がある。 しかし管見ながら、この新型ベレー帽を画像及び現物資料で確認した事はない。本当に存在したのかどうか、疑問である。 |
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3.1985年型毛皮裏地戦車服の導入 |
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1985年12月19日付のГОСТ26707-85(1987年1月1日施行)により、軍人用毛皮裏地の特殊被服が導入された。 先述した「ГОСТ24913-81 軍人用特殊防寒服」(冬用戦車服)と同様に、ソ連軍(国防省軍)と国内軍(内務省軍)の軍人向けとだけ記されているが、技術規定書の図版の中に戦車帽を着用した図(左図)が在る事から、どの様な軍種を想定しているかは推測出来よう。 1959年に、夏用・冬用・極寒地用(及び寒冷地の将校・指揮官用)の戦車服が導入されているが、この極寒地用の毛皮素材を用いた物の後続品ではないかと推測する。 この服は、通常の冬用戦車服とほぼ変わらぬ形状をしている。 大きく違うのは、通常の戦車服が脱着式のライナーが、綿入れで人工毛皮の襟とフランネルの裏地なのに対して、こちらは毛皮製で、襟も天然毛皮という点である。またライナーがかさばる天然毛皮製である事から、表のジャケットとズボンの裁断寸法が少し大きめに作られている。 またズボンの表面には、臀部と内股、太股、膝にかけて、布当てが縫い付けられている点も違う。 ライナーの形状も若干違い、重い素材を用いているせいか、ズボンのライナーにはサスペンダーが用いられていた。 非常に興味深いのは、既に他の戦車服が、エポレット型肩章と保護色・迷彩色に変更されていた時期にもかかわらず、縫付型肩章を用い、保護色・迷彩色と共に、黒の生地を用いるなど、古式然とした仕様が残されていた点である。 1991年5月24日付の変更第2号において、エポレット型肩章への切り替え、黒い生地の使用廃止が行われているが、恐らくソ連崩壊までには間に合わなかったであろう。 |
4.謎の冬用戦車服 |
戦車兵の着用している特殊被服の中には、その存在を写真などで確認できても、その正体が全く分からない物が多々存在する。 1972年以降の戦車兵の被服に関しても同様の物が存在する。 『世界最新鋭戦車 T-72戦車とソ連戦闘車両』(1986年度版『戦車マガジン』別冊)に、1983年2月にチェコスロバキアにて実施された演習風景の写真が数点納められているが、これらの画像の中に、正体不明の冬用の軍装をした戦車兵が写っている(p.56〜59)。 彼らの着用する冬用のコスチュームは、毛皮襟付きの綿入れライナーと、フードを備えているが、裁断自体は1972年型木綿製戦車服と、ほぼ同じである。 例えば胸には直線のヨークとポケット、胸章が付き、袖口はカフスで。裾にはベルトが無い。ズボンにも膝当てが付いている・・・という様にである。 これがどういった意図の物であったかは分からないが、正体が明瞭ではない軍装品の一例として挙げておく。 |
5.参考資料 |
『Военная Одежда Вооруженных Сил СССР и России(1917 - 1990-е годы)』 1999 『Цейхгауз』(No.1) 「Униформа советских танковых войск」 |