1970~'80年代
兵舎で足布を巻く
自動車化射撃科伍長



 ここでは、1970年代からその崩壊までソ連陸軍で用いられた、1969年型ウール製兵下士官*1用常勤服について言及したい。
 徽章類など、既存の記事で言及した事柄については、そのページへのリンクを貼るので参照して頂きたい。


*1:ここで指す兵下士官とは、兵役勤務期間中の徴集兵、及び士官候補生であり、兵役期間を過ぎても軍に残った長期勤務兵の兵下士官は含まない。

 (2022.01.25. 改訂)
 
(写真と文章/赤いお母さん)

 

軍装解説


 1969年に制定され、1970年から施行されたソ連軍の服装規定は、ソ連兵の姿を一変させる大きな改訂が行われた。
 その一つは、普段の勤務や自由時間に着用する為の「常勤軍装」として、また野外教練や有事の際の戦闘服として着用する為の「野外軍装」として、大祖国戦争中の1943年に導入された立襟でプルオーバー式の上衣ギムナスチョールカ(гимнастёрка)を改め、折襟でジャケット式の上衣キーチェリ(китель)、そして対になるズボンが定められた事である。

 兵下士官用のキーチェリとズボンには、木綿製とウール製とが用意されていた。
 木綿製が基本的な常勤・野外服であったのに対して、ウール製は常勤服であり、1971年3月12日付ソ連国防大臣命令第60号で導入された配給ノルマに従い、寒冷地と国外、モスクワに駐留する部隊の徴集兵と士官候補生、更には軍楽隊の兵下士官に支給される事になっていた。
 彼らには、ウール製常勤服が二年に一着、木綿製常勤・野外服は一年に一着が支給された(ウール製が支給されない部隊の兵士は、木綿製が一年に二着支給された)。
 「常勤軍装」における木綿製とウール製との着用の切り分けについての規定は知らないが、気温に応じて着用されたと思われる。

 ウール製常勤服は、保温性が考慮された服であると同時に、外国人の目に触れる部隊に配給される事や、宣伝写真に演習中の野外服として着用されている事を考えると、見栄えの良さを考慮に入れられた服装と考えられる。
 

・1969年型兵下士官用ウール製略帽

 ウール製兵下士官用常勤服に合わせて、共生地の舟型略帽(ピロートカ:пилотка)が用意されていた。
 略帽の正面には、略帽用帽章が打ち込まれた。

 1969年規定では、常勤軍装には制帽、野外軍装には略帽を被る事に成っていたが、1972年規定からは、士官候補生を除く兵下士官は常勤軍装でも略帽を用いる事に成った。
 また冬季軍装としては防寒帽を被る事に成っていたが、(恐らく部隊長の判断で)略帽を用いている例も多い。

 略帽については、Blogの記事も参照の事。


・1969年型兵下士官用ウール製閉襟キーチェリ

 閉襟キーチェリは、折襟で前開き、シングルボタンの上衣で、襟元のフックと金色の制服ボタン5つで前を閉じた。袖口には金色の小さい制服ボタン2つで閉じるカフスが付いた。前身頃左右の腰部分には、たれフタ付きスリットポケットが備わっていた。
 木綿製には空挺兵用や熱地服用の開襟キーチェリが存在したが、規定上、ウール製には存在しない。

 キーチェリの襟首には、襟布の上端が1-2mm程見える様に縫い付けて着用された。襟布は、兵士各自が縫い付け、 常に清潔である様に求められた。
(襟布に関しては、Blogの記事も参照の事)


 キーチェリには、黄色いリボン状の階級章を付けた兵科色の肩章と、金色の兵科章を打ち込んだ兵科色の襟章を縫い付けた。
 有事に際しては、肩章・襟章・兵科章・制服ボタンとを保護色の物に、階級章のリボンは赤色の物に取り替える様に定められていた。
 1973年規定からは、兵科色の肩章に25mmの大きさのソ連軍(Советская Армия)の頭文字「СА」が黄色でプリントされる様になった。
 1988年規定からは、木綿製キーチェリでは、肩章・襟章・兵科章は保護色、階級章のリボンは赤色の物を用いる事に成ったが、ウール製キーチェリでは、変わらず色付きの物を用いた。
(肩章や襟章と言った徽章類に関しては、「1970年代 砲兵部隊の兵卒」「1970~'80年代 1973年式野外軍装を着用した自動車化射撃兵」も参照の事)

 胸には、右胸に「兵下士官専門家章」を、左胸にソ連共産党の青年部である全連邦レーニン共産主義青年同盟いわゆるコムソモールのメンバーである証「コムソモール員章」を佩用している。


・1969年型兵下士官用ウール製ズボン

 下衣には、裾を長靴に入れるタイプのズボン(брюки в сапоги)が用いられた。
 このズボンは、ギムナスチョールカと対に成る下衣シャロヴァーリ(шаровары)と比べると太腿周りの張り出しが少なかったが、それまでと同様に膝下は細く、ボタン留めの踏み紐が付いていた。

 ズボンに関しては木綿製とウール製とでは大きな形状の違いが二点ある。
 まず、ウール製ズボンには、ヒザの当て布が無い。
 次に、ウール製ズボンの裾は、別生地の綿フランネル製になっている。恐らく、踏み紐を用いる為の補強が理由だろう。これは長靴を履いてしまうと、見えなくなってしまう部分である。


・足布

 足布は夏用の生成綾織木綿製と、冬用の生成綿フランネル製とがあった。
 足布はソ連崩壊後も用いられた伝統的な下着だが、1980年代頃になると靴下が好まれ、士官候補生や下士官候補生でもなければ、正式に着用方法を教育されなくなっていた様である。
 

・兵下士官用常勤ベルト

 兵下士官用の常勤ベルトは、焦げ茶色の人工皮革製で、真鍮製のバックルが付いている。
 ベルトを着用する際に、バックルは第四ボタンと第五ボタンの間に来る様にしなければならない。


・長靴

 兵下士官が普段履く長靴は、胴の部分が人工皮革キルザ(кирза)製で、それ以外の部分はロシア革製である。
(詳しくはBlogの記事を参照の事)


     

模型解説

 
 模型的解説については、Blog「別当日誌」の記事を参照して下さい。

 
ソ連軍兵舎のストゥール
ソ連軍兵舎の陸軍組立式ベッド

フィギュアの改造・・・で悩む
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(2)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(3)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(4)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(5)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(6)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(7)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(8)
1980年代 営内で足布を巻くソ連軍兵士(9)



戻る