Musee des Plans-reliefs
立体地図博物館



 立体地図博物館は、軍事博物館のナポレオン時代の展示室の真上、いわば建物の屋根裏とでも言うべきフロアに開設されている。
 こんな所までやってくる観光客もほとんど居らず、わずかに社会科見学の小学生が通り過ぎると、後は静寂に包まれる。・・・物音は私の切るシャッター音だけ・・・という、実に物寂しい有様であった。

 特に立体地図の展示フロアは、貴重な歴史遺物である立体地図を劣化から守る為、照明は薄暗く人気もない故に、非常に寂しい・・・というか、幽霊でも出そうな雰囲気であった。
 ・・・逆に雰囲気はとても好みなんですけどね・・・隠密デートにどうぞ。

 



立体地図の歴史


立体地図展示室


資料展示室



立体地図博物館の記念コイン


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立体地図の歴史


 要害の縮尺模型である立体地図は、ルイ14世の陸軍大臣ルーヴォワ候フランソワ=ミシェル・ル・テリエ(Francois-Michel le Tellier)の指導の元、1668年より作られ始めた。正確な地図は作戦立案に欠かせぬ兵器であるが、立体地図は大砲の射程距離内にある街や領地の様子をより明確に示す事が出来、作戦立案に大いに役立った。また、稜堡といった防御設備の建造技術を初め、包囲戦術などの向上に寄与し、結果として砲兵技術の発展を招く事となった。
 王室のコレクションになった立体地図は、領土拡張の続くルイ14世、ルイ15世治下において、その数を増し、フランスの国土防衛に使用された。これらのコレクションは、テュイルリー宮殿とルーヴル宮殿に保管されていたが、1777年にアンヴァリドに移され、その際に全てのコレクションに補修が施されている。
 革命や帝政を経てもなお立体地図の製作は続けられていたが、稜堡などによって街を要塞化する事も無くなった1870年の普仏戦争の後、ようやく終わりを迎える事となる。
 立体地図のコレクションは、1927年に歴史的な遺物として分類され、1943年に博物館が創設された。

博物館発行のパンフレット(英語版より)


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立体地図展示室


 階段を上りきった先にある立体地図博物館の入口(ってか、階段の踊り場に机を置いているだけ)の左手戸口をくぐると、そこは立体地図コレクションの展示室となっている。

 ここには博物館が誇る100を数えるコレクションの中から、状態の良い24作品が展示されている。
 立体地図はそれぞれ、「大西洋沿岸」「ピレネー山脈」「内陸部」と、地域別に分けて展示されている・・・と言う事は、後で知った。

 スケールは1/600が基本となっている。




要塞の立体地図






こちらは要塞化された街全体を立体地図に起こした物。






要塞化された街のみならず、周辺の領地や湾などの周辺部までもを立体地図化している。





 渓谷と、そこにある街を立体地図化した物。
 こういった地形こそ、立体地図の面目躍如であろう。



 巨大な立体地図がある一方で、こういった小振りの物もある。


 立体地図のアップ。

 ミニチュア好きには、至福の一時を与えてくれる。
 時を忘れて見入ってしまった。


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資料展示室


 立体地図の歴史や製作過程を紹介した展示室。
 博物館入り口の右手、書籍や土産物を扱う物販コーナーの奥にあり、特に表示もないので存在を気付かなかった人も多いと思う。

 
 1750年以来、立体地図の製作はメジエール(Mezieres)に在った工房で行われていた(この工房は、1777年のコレクション移転に伴って、アンヴァリッドに移転している)。
 この工房で、立体地図の縮尺率と製作技術が定形化されていった。

 縮尺率は一般的に1/600で、これは100toises(トワズ)を1pied(ピエ)で表す計算方法から来ている。
 因みに、1トワズ=6ピエ。
 1トワズは6.5フィート、1ピエは13インチとなる。

 立体地図は、土台となる木のテーブルと、その上の本体部分とにより構成されている。本体部分の地面の製作は、彫刻や彫塑により等高線を再現する所から始まる。形作られた地形は、砂や絹でコーティングして仕上げられた。水面は塗装で表現される。
 木々は絹やシェニール糸、針金を組み合わせて作られ、建物は木彫りの部品に印刷もしくは塗装された紙を貼って再現されている。
染色した線維を、この機械で細かく切断する。
こちらが出来上がったシーナイリーパウダー。
現代の物と変わらない。
こちらは砂やシニェール糸、ライケン(?)といった物だろう。
原材料を情景模型用の素材に加工する為の道具が興味深い。
建物のパーツと設計図。


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