使用キット
1/35 「BTR-70」
DRAGON(香港)/ZVEZDA(ロシア)
不整地踏破能力と渡河能力を備え、来る核戦争への対応能力をも備えた装甲兵員輸送車BTR-60シリーズの改良型である。 BTR-70は1972年8月21日付けのソ連国防省命令第0141号により採用が決定され、主任設計士I.S.ムーヒンの指揮の下、開発された。1976年よりゴーリキ-自動車工場(GAZ)にて量産が始まり、1981年にはアルザマース自動車予備部品工場(注01)に生産ラインが移動する。 BTR-70は、BTR-60PBの改良型として開発されたものの、前任のBTR-60シリーズの欠点を根本的に解決する事が出来ず、その課題は後任のBMP-80へと受け継がれた。 諸外国への輸出は少なく、ソ連以外で使用した国はわずかに2ヶ国のみである。東ドイツは1980年にBTR-70を採用し、ルーマニアはTAB-77(注02)の名前で1970年代末から1990年までに154両をライセンス生産した。 現在でもチェチェン紛争等で、その姿を見る事が出来る。 10年間弱の生産期間に、量産時期によるいくつかの形状の変化と、指揮車両といった派生型や、BTR-70の車体をベースにした試作自走砲等が存在する。ここでは後者には触れず、量産時期による形状の違いに付いてのみ触れる。 なお、「後期型(M1986)」等といった名称は、参考資料を基に、確認された年を基準にして便宜的に筆者が付けた物である。また生産時期による更なる細かな変化、個体車両が持つ違いがある事は当然である。 ・最初期型(M1976) 注01: アルザマース自動車予備部品工場は、1981年にゴーリキー自動車工場生産連盟(PO GAZ)に加入し、1983年9月にアルザマース機械製作工場(AMZ)に改称した。 注02: TAB-77のBTR-70との違いは、砲塔側壁にマリュートカ対戦車誘導ミサイルの起動装置が付いている事。 注03: 参考にした論文の著者Михаил БАРЯТИНСКИЙБ氏は、これを後期型の特徴としているが、初期型の車両で手すりが上下二本に成っている物が確認されるので、初期型以降の特徴とした。 |
主要参考文献 Михаил БАРЯТИНСКИЙБ 「ронетранспортёр БТР-70」 『М−ХОББИ』 2006年1月第67号(p.28〜33)掲載 |
喩えるならば「マイ・フェア・レディ」の様なキット。 90年代初頭に怒濤の如く表れ、怒濤の如く不良在庫に成った(という噂のある)ドラゴン社の現用ソ連軍AFVシリーズの一つ。 現在ではズベズダから現用ロシア軍車両として販売されており、そのキットを使用。因みにドイツ・レベルから東ドイツ軍車両として、近頃デカールだけ変えて販売されており、大変息の長いキットと成っています。・・・それじゃぁ困るんだが。 同時期に出たBMPは合いが悪く作りにくいが、出来てしまえば良い感じのキットでしたが、一方のBTRは合いは良く作りやすいが、出来上がっても今一な感じ。 根本的にミニカーというか玩具っぽく、スケールモデル的では無いのです。例えば、ハッチ類は開閉可動式であるし、前部の車輪は連動してステアリングが切れる様なギミックが付いている。そういった遊びの機能が付いている反面、それがディフォルメにつながってしまっている。元々の車両自体があっさりとしたデザインである上に、ディフォルメや細部の省略がされてしまう為に、よりミニカーっぽく成ってしまう・・・。 が、全体のプロポーションは悪くなく、ミニカーをスケールモデルに直してやる努力をすればするほど、見違える様に魅力的な作品に仕上がります。 今回は上記の「初期型」を再現しました。・・・理由は一番手間がかからないから。 因みにキットには、車体天井部の銃眼が付いたパーツも入っているので、砲塔側壁のペリスコープとサイドミラーを付けてやれば「後期型」も作れます。 詳しくは画像を見て貰うとして、スコップはEECのBT-7から流用、蝶ネジはカステンの物を、金網は壽屋の「メカディテール7」を使用。その他はプラ材やらアルミ板、金属線とパイプ類、伸ばしランナーなどで、チマチマと。 なるべくキットを生かす方向でディテールアップし、足回りに関しては素組です。 後、本当はフェンダー上に、二列互い違いにリベットがびっしりと並んでいるのですが、体に悪いので省略しました・・・初志貫徹したヒギンズ教授は偉かったな。そりゃ愛も芽生えるわな。 なお、制作に当たって上記雑誌論文に付属した図面の他に、下記サイトの掲載画像を参考にしました。 http://svsm.org/ http://walkarounds.airforce.ru/index.htm http://serkoff.narod.ru/index.html (赤いお母さん) |