「偵察兵・監視兵の徽章についての補足」

工農紅軍史学研究会/執筆者V.ヴェノーフ


[はじめに]

 拙稿「労農赤軍の襟章に付けられた兵科・勤務を示す徽章についての考察:1935〜43」の中で、私は騎兵科の兵科徽章について、次のように論じた。

  騎兵科の軍人は、1935年時点で兵科徽章が存在しなかったし、1936年3月10日付の指令でも兵科徽章が制定されなかったので、「1935 年12月以降」〜「1940年7月以降」の時期区分においては襟章に何も付けていなかった。しかし、1940年11月2日付で「蹄鉄と交差した2振のサー ベル」の騎兵の徽章が制定され、1941年1月1日から着用することが義務付けられたので、「1941年1月以降」は襟章に兵科徽章を付けることになっ た。

この文章は、騎兵部隊用の「青色の地に黒色の縁どり」の襟章には、「1941年1月以降」まで「蹄鉄と交差した2振のサーベル」の騎兵の徽章が付い ていなかったことを示唆している。しかし、歩兵用の襟章と同様に、騎兵部隊用の襟章にも徽章が付けられる場合があったのである。最近のロシアでの研究 (註)で、騎兵部隊用の襟章に付けられた「偵察兵・監視兵」用の特殊徽章に関する報告がなされていたので、その研究を基礎にした考察を、以下に補足として 発表しておきたい。



[偵察兵・監視兵用徽章出現の背景]

 1930年代半ばは労農赤軍の一大変革期といえるだろう。ファシズムの台頭やスペイン内戦など国際情勢の変化を背景に、1935年から1938年 にかけて地域守備軍制が徐々に廃止され、常備軍への一本化が進められた。これは地上軍の中央統制を高めたため、中央軍事機構に大きな変化をもたらし、伝統 的な革命軍事評議会や勤労防衛会議などが廃止され、国防人民委員部(陸海軍人民委員部を改称)と防衛委員会議を中心とする体制に移行させた。それと同時に 常備軍への一本化は職業軍人が兵役年限内の徴集兵を役に立つ兵士として徹底的に訓練することが狙いであった。戦争の危機を背景に労農赤軍の常備軍の人員 は、1933年の60万弱から1936年には130万余に増大し、さらに1939年の国民皆兵制法で兵役年限が2年から5年に延長されると400万余にま で膨張した。この人員増大に先立ち、徴集兵を効果的に訓練するプログラムが実施されることになった。
 また、1930年代になると、トゥハチェーフスキイらにより、戦車・航空機を中心に諸兵科の高度な連携を基盤とした「縦深攻勢理論」が発展させられた が、一方で騎兵師団の数は1931年の14個から1936年には32個と増大していた。これは労農赤軍の常備兵力の増加と、おそらく、戦車や航空機の代替 物として騎兵の機動力が評価された結果、現実的編成がとられたためと思われるが、ブジョーンヌイら騎兵派軍人の抵抗のあらわれと見ることも可能である。
 このような騎兵兵力の増大の中で、「縦深攻勢理論」は、縦深攻勢の決定力としての騎兵ではなく、「偵察兵・監視兵」としての騎兵の役割を強調した。すな わち、騎兵斥候・監視・パトロール・警備、さらに命令や報告を確実に届けるための伝令などとして騎兵部隊で用いるために特別教育を受けた人員が必要だと主 張されたのである。実際にこのような人材は当時の労農赤軍では不足していたため、1936年2月20日付のソ連邦国防人民委員部指令第26号「労農赤軍騎 兵の偵察兵・監視兵についての規定」で、すべての騎兵中隊(帯刀している一般騎兵)の中に5〜6人の徴集兵からなる
「偵察兵・監視兵教育特別班」が形成されることになった。



[偵察兵・監視兵用徽章の制定]

 1936年2月20日付のソ連邦国防人民委員部指令第26号の付録で「偵察兵・監視兵」用の特殊徽章が制定された。この徽章には「1級」と「2 級」の2種類があり、「1級」は「金色」、「2級」は「銀色」であった。徽章のデザインは、「双眼鏡と交差したサーベルとコンパス、その上方に方位磁針と 1922年以降の労農赤軍の星章」というものであった。規定にしたがって、この徽章は金属製でプレス加工で製造された。



[偵察兵・監視兵用徽章の特徴]

 この徽章は、単に兵科を表わすものではなく、資格・称号を表わすという特徴をもった。この資格・称号をもつためには「偵察・監視における特殊知識 と実戦経験に関する選抜試験」で一定の評価を受けることが必要であった。「偵察兵・監視兵1級」と「偵察兵・監視兵2級」の資格・称号の諸条件については 若干複雑なので、以下に箇条書で説明する。

1.「偵察兵・監視兵教育特別班」の班長は、志願して選抜試験で「優」の総合評価を得た優秀な尉官が連隊命令で任命されたが、彼らは「偵察兵・監視兵1級」の資格・称号を有し、それに応じた「金色の徽章」を着用した。

2.「偵察兵・監視兵教育特別班」の班長の補佐は、各騎兵中隊に1人の下級小隊指揮官と2人の分隊指揮官が兵役年限超の優秀勤務者から選抜されたが、彼らは「偵察兵・監視兵1級」の資格・称号を有し、それに応じた「金色の徽章」を着用した。

3.徴集兵の内、初年兵の場合、連隊学校での「偵察兵・監視兵教育プログラム」での選抜規定に基づき、赤軍兵士としての完全教育課程を終了した「志 願者もしくは猟師・森番・旅行家・登山家・採金者などの実地経験者」で、選抜試験で「良」以上の総合評価を得た者が、「偵察兵・監視兵2級」の資格・称号 を有し、それに応じた「銀色の徽章」を着用した。

4.徴集兵の内、2年兵の場合、初年兵時代に教育班名簿にあった者は、初年兵用「偵察兵・監視兵教育プログラム」で再び審査され、さらに2年兵用「偵察兵・監視兵教育プログラム」で審査された。

5.2つとも「良」以上の総合評価を得た者は、「偵察兵・監視兵1級」の資格・称号を有し、それに応じた「金色の徽章」を着用した。

6.初年兵用で「良」以上、2年兵用で「可」の総合評価を得た者は、「偵察兵・監視兵2級」の資格・称号のままであり、それに応じた「銀色の徽章」を着用した。

7.初年兵用で「可」の総合評価を受けた者は、「偵察兵・監視兵2級」の資格・称号と「銀色の徽章」着用権を喪失した。

8.「偵察兵・監視兵1級」の資格・称号をもつ徴集兵は、兵役年限満了後、連隊学校での試験に合格すれば、兵役年限超も労農赤軍に残る権利をもつことになった。

9.「偵察兵・監視兵1級」の資格・称号をもつ徴集兵は、兵役年限満了後、連隊学校での試験に不合格であると、除隊することになった。

10.兵役年限超の兵士として残った者は、騎兵中隊の「偵察兵・監視兵教育特別班」名簿から省かれたが、この場合でも騎兵部隊に在籍している限り、「偵察兵・監視兵1級」の資格・称号を有し、それに応じた「金色の徽章」を着用した。

 以上のことを総合すれば、将校(尉官に限る)と下士官は必ず「金色の偵察兵・監視兵1級」の徽章を付けていることになるが、兵士の場合は「金色の偵察兵・監視兵1級」と「銀色の偵察兵・監視兵2級」の徽章のどちらもありうることがわかるだろう。



[おわりに]

 1938年3月に戦略騎兵部隊の新しい人員定員表に基づく騎兵師団の組織上の改編がなされ、騎兵連隊単位での偵察兵は不必要となった。その結果、 1939年9月4日付けのソ連邦国防人民委員部指令第162号で、1936年の『偵察兵・監視兵に関する規定』は効力を失ったことが表明され、この「偵察 兵・監視兵」用の特殊徽章は、騎兵部隊から姿を消すこととなった。



註)
А.Степанов,РАЗВЕДЧИКИ-НАБЛЮДАТЕЛИ КОННИЦЫ РККА И ВОЙСК НКВД 1936-1941,≪ЦЕЙХГАУЗ(8)≫,1998 г.,стр.44-46.



その他の参考文献)

Советская Военная Энциклопедия,М.,1976-1980.
E. Wollenberg, The Red Army, London,1938.
『ソ軍常識』帝国在郷軍人会本部編、昭和14年。

『労農赤軍の襟章に付けられた兵科・勤務を示す徽章についての考察:1935〜43』 へ


1999/02/27登録

このページはリンクフリーです。