旧赤軍博物館別院フォーラム過去ログ

(旧赤軍博物館別院フォーラム/軍装掲示板は、2011年6月に閉鎖されました)



 2 返信 掲示板使用について 赤いお母さん@管理者 2005/10/28 17:20

 3 返信 第9回元気堂AFVコンテスト 赤いお母さん@管理者 2005/11/02 21:29
 4 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト ヴェノーフ 2005/11/02 22:37
 5 返信 どうも 赤いお母さん 2005/11/03 17:25
 6 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト 赤いお母さん 2005/11/30 17:12
 7 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト ヴェノーフ 2005/12/14 03:43
 8 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト 赤いお母さん 2005/12/17 02:17
 9 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト ヴェノーフ 2005/12/17 07:51

 10 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/01/18 15:54
 11 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/01/19 12:37

 12 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/01/19 17:54
 13 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/01/23 17:49
 22 返信 キヤコン 赤いお母さん 2006/03/06 23:16

 14 返信 60年代の国境警備兵 赤いお母さん 2006/01/28 00:48
 15 返信 マガジンポーチ 赤いお母さん 2006/01/28 10:51
 16 返信 Re:60年代の国境警備兵 ヴェノーフ 2006/01/28 23:38
 126 返信 Re:60年代の国境警備兵 ヴェノーフ 2008/08/17 17:56

 17 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/02/02 14:49

 18 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/02/03 15:36
 19 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/02/03 15:41

 20 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/02/17 23:15
 21 返信 Re:更新報告 赤いお母さん 2006/02/20 17:39

 23 返信 作品拝見! 戦車親父 2006/03/09 02:34
 24 返信 Re:作品拝見! 赤いお母さん 2006/03/10 18:56
 25 返信 Re:作品拝見! 戦車親父 2006/03/11 07:35

 26 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/03/20 16:12

 27 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/03/27 17:52
 28 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/03/28 22:54

 29 返信 新商品 赤いお母さん 2006/03/31 18:54

 30 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/04/06 19:02
 31 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/04/06 21:15
 32 返信 Re:更新報告 赤いお母さん 2006/04/07 02:53
 34 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/04/08 00:18

 33 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/04/07 04:57

 35 返信 TANKの新作 赤いお母さん 2006/04/27 18:49

 36 返信 ソ連軍のセーター 赤いお母さん 2006/05/06 05:13
 37 返信 Re:ソ連軍のセーター 赤いお母さん 2006/05/06 16:58

 38 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/05/11 13:51
 39 返信 更新報告訂正 赤いお母さん 2006/05/12 14:45
 40 返信 Re:更新報告訂正 ヴェノーフ 2006/05/12 18:48
 41 返信 Re:更新報告訂正 赤いお母さん 2006/05/13 11:32

 42 返信 ははぁ、BT7でしょうか? 戦車親父 2006/05/17 06:00
 43 返信 御明察 赤いお母さん 2006/05/17 16:17

 44 返信 出来上がったら見せてね 戦車親父 2006/05/17 16:36
 45 返信 >ワセリン 赤いお母さん 2006/05/18 16:41

 46 返信 ワセリン2 戦車親父 2006/05/19 09:54

 47 返信 リンクに関して 赤いお母さん 2006/06/13 21:42
 48 返信 Re:リンクに関して 赤いお母さん@別院別当 2006/06/14 01:42
 49 返信 Re:リンクに関して 赤いお母さん@別院別当 2006/06/14 02:06
 50 返信 訂正 赤いお母さん@別院別当 2006/06/14 11:46

 51 返信 記事の訂正 赤いお母さん 2006/07/02 13:32

 52 返信 更新報告 赤いお母さん@別院別当 2006/07/18 15:10
 53 返信 Re:更新報告 赤いお母さん@別院別当 2006/07/18 22:24
 54 返信 (削除)
 56 返信 東トルキスタン共和国 赤いお母さん 2006/07/19 00:39

 57 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/08/02 03:00
 62 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/09/16 13:02

 67 返信 掲示板の変更について 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:47

 68 返信 大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:54
 69 返信 >大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:56
 70 返信 >>大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:57
 71 返信 >>>大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:58
 72 返信 >>>>大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:59
 73 返信 >グレー(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:00
 74 返信 >>グレー(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:02
 75 返信 >>>グレー(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:03
 76 返信 カーキもありか!?(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:04
 77 返信 黒つなぎ(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:05

 78 返信 「パンツァーグラフ!」の軍装品記事 ヴェノーフ 2006/10/26 19:48
 79 返信 Re:「パンツァーグラフ!」の軍装品記事 ヴェノーフ 2006/10/26 21:36
 80 返信 Re:「パンツァーグラフ!」の軍装品記事 ヴェノーフ 2006/10/26 21:43
 81 返信 「パンツァーグラフ!」の軍装品記事〜戦後編 赤いお母さん@管理人 2006/10/27 10:59
 82 返信 「パンツァーグラフ!」の軍装品記事〜現用編 赤いお母さん@管理人 2006/10/27 11:57
 83 返信 Re:「パンツァーグラフ!」の軍装品記事〜現用編 赤いお母さん@管理人 2006/10/27 12:02
 84 返信 グレー・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/02/14 18:39
 85 返信 保護色・・・色調の境界線 赤いお母さん 2007/02/21 23:48
 86 返信 Re:保護色・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/02/25 16:26
 87 返信 Re:保護色・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/02/26 03:30
 88r 返信 Re:グレー・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/03/02 18:26

 89 返信 ソ連(地上軍)将官常務制服 さよっぺ 2007/03/05 09:01
 90 返信 Re:ソ連(地上軍)将官常務制服 ヴェノーフ 2007/03/05 14:09

 91 返信 『私はT-34で戦った』 赤いお母さん 2007/03/05 17:12

 92 返信 ミハイール・ウリヤーノフ ヴェノーフ 2007/03/28 12:53
 95 返信 ノンナ・モルジュコーワ 赤いお母さん 2007/07/19 17:12
 99 返信 グロースマン ヴェノーフ 2007/08/04 03:02
 100 返信 Re:グロースマン 赤いお母さん 2007/08/04 12:52
 101 返信 それなら ヴェノーフ 2007/08/05 00:52
 103 返信 チーホン・フリェーンニコフ ヴェノーフ 2007/08/16 17:07
 114 返信 新世界レコード 赤いお母さん 2007/10/05 06:08

 93 返信 >国境警備隊の旅団コミッサール ヴェノーフ 2007/07/02 13:47
 94 返信 Re:>国境警備隊の旅団コミッサール(訂正) ヴェノーフ 2007/07/02 13:49

 96 返信 空軍の本 ヴェノーフ 2007/08/03 17:30
 102 返信 Re:空軍の本 ヴェノーフ 2007/08/06 15:24
 104 返信 Re:空軍の本 赤いお母さん 2007/08/16 22:41
 105 返信 Re:空軍の本 ヴェノーフ 2007/08/17 21:14

 106 返信 KGBについて ブリキ缶 2007/09/07 13:29
 109 返信 Re:KGBについて 赤いお母さん 2007/09/07 14:54
 110 返信 Re:KGBについて ブリキ缶 2007/09/07 18:00
 112 返信 Re:KGBについて 赤いお母さん 2007/09/08 12:04
 113 返信 Re:KGBについて ブリキ缶 2007/09/08 16:28

 115 返信 VDVプロモ 赤いお母さん 2007/10/17 18:02
 122 返信 カザフスタン軍のプロモ 赤いお母さん 2008/04/27 12:08

 116 返信 T-60搭乗員作例と1935年型襟章と1940年型襟章について 赤いお母さん@管理人 2008/02/25 14:51
 117 返信 Re:T-60搭乗員作例と1935年型襟章と1940年型襟章について 赤いお母さん 2008/02/25 15:08
 118 返信 Re:T-60搭乗員作例:上衣とガスマスク収納袋 ヴェノーフ 2008/02/28 19:24
 119 返信 Re:T-60搭乗員作例:上衣とガスマスク収納袋 赤いお母さん 2008/03/02 12:55
 120 返信 Re:T-60搭乗員作例:上衣とガスマスク収納袋 ヴェノーフ 2008/03/05 17:52
 121 返信 “白夜映画祭II〜ロシア、グルジア、そしてパリ〜” 赤いお母さん 2008/04/26 12:04

 124 返信 Блестящиеのクリップ。 赤いお母さん 2008/05/29 18:57
 125 返信 軍隊とポップスinウクライナ 赤いお母さん 2008/06/02 12:45

 127 返信 ソ連軍軍帽の星について カラマーゾフのお姉さん 2009/01/31 09:10
 128 返信 Re:ソ連軍軍帽の星について ヴェノーフ 2009/02/01 14:05
 129 返信 Re:ソ連軍軍帽の星について ヴェノーフ 2009/02/01 14:09
 130 返信 ReRe:ソ連軍軍帽の星について カラマーゾフのお姉さん 2009/02/01 21:42
 131 返信 Re:ReRe:ソ連軍軍帽の星について ヴェノーフ 2009/02/02 11:56

 134 返信 >ブダペシュトにおける第2親衛機械化師団の戦車兵 ヴェノーフ 2009/04/10 23:18
 135 返信 Re:>ブダペシュトにおける第2親衛機械化師団の戦車兵 ヴェノーフ 2009/04/10 23:20
 136 返信 Re:>ブダペシュトにおける第2親衛機械化師団の戦車兵 ヴェノーフ 2009/04/27 11:23

 138 返信 ソ連軍使用の防弾ベストの名称 赤いお母さん 2010/01/08 19:27

 139 返信 戦後のチェログレイカ 赤いお母さん 2010/04/23 17:03
 140 返信 Re:戦後のチェログレイカ 赤いお母さん 2010/06/01 15:12

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2 返信 掲示板使用について 赤いお母さん@管理者 2005/10/28 17:20
当掲示板は「赤軍博物館別院ヒストリカルフィギュア分科会」専用掲示板です。

展示作品に対する御意見・御質問等に
また模型や軍装品に関する情報交換等にも御利用下さい。

なお当掲示板は時系列で表記されておりますが、
基本的にはツリー形式の掲示板に成っています。
同じ話題の際は、返信機能を御利用下さい。

[Plain] - [Tree] - [Index] - [Thread]

で、表示形式を変えて見る事が出来ます。

3 返信 第9回元気堂AFVコンテスト 赤いお母さん@管理者 2005/11/02 21:29
新作「1985年頃アフガニスタンにて:哨戒所でウチョース機関銃を構える空挺兵」をアップしました。

なおこの作品は、東京都府中市のホビーショップ「元気堂」で現在開催されているAFVコンテストに出品しました。
http://members3.jcom.home.ne.jp/genkidou/
タイトルは「アフガニスタン 1985年」と簡素化しました。
11月いっぱい店頭で展示されている様です。
ネットで公開するよりも、多くの人目に触れるのではないかと思います・・・冗談抜きで。
4 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト ヴェノーフ 2005/11/02 22:37
> 新作「1985年頃アフガニスタンにて:哨戒所でウチョース機関銃を構える空挺兵」をアップしました。

いや〜、お見事です。
やはりウチョース機関銃は組み上げにくそうですね。
キットを見た時にビビってしまいました。

2色迷彩の感じは随分よくなりましたね。

装具は、実物を知っていると、妥協がしづらいので、
結果的にいい工作になりますね。
5 返信 どうも 赤いお母さん 2005/11/03 17:25
ありがとう御座います。
二色迷彩に関してはスケール感をつかめた気がしますが、
後はテトリス迷彩と俗称までされた雰囲気を、どの様に表現できるかが課題ですね・・・。
・・・って事は、また塗らなければ成らないという事ですな・・・。

それとアップする際の撮影も課題ですね。
どうしてもライトを当てると、てかりが出てしまいます。
撮影技法や道具を考慮してみます。
こうして見ると、アクリルガッシュのつや消し能力の高さに驚きます。

それと中国製胸掛けポーチですが、
これの正式名称もしくは制定年というのはどうなっているのでしょうか?
私は中国軍は、全くもって無知故。
6 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト 赤いお母さん 2005/11/30 17:12
> 新作「1985年頃アフガニスタンにて:哨戒所でウチョース機関銃を構える空挺兵」をアップしました。

銅賞を頂きました。
7 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト ヴェノーフ 2005/12/14 03:43
> > 新作「1985年頃アフガニスタンにて:哨戒所でウチョース機関銃を構える空挺兵」をアップしました。
>
> 銅賞を頂きました。

おめでとうございます。
努力が実りましたね。さあ、私も作らなければ。
8 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト 赤いお母さん 2005/12/17 02:17
雑誌に出ちゃいました。作品。
でも私の名前、思いっきり間違っているんですが・・・。
期せずして匿名性ばっちりです。
9 返信 Re:第9回元気堂AFVコンテスト ヴェノーフ 2005/12/17 07:51
> 雑誌に出ちゃいました。作品。
> でも私の名前、思いっきり間違っているんですが・・・。
> 期せずして匿名性ばっちりです。

見ました。とりあえず、ばっちりなのかな?

ところで、ここではベーケーシ博士の新著の宣伝は必要ないですよね。

10 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/01/18 15:54
キットコレクションを更新しました。

ヴェノーフ同志、ご苦労様です。
初めにニッパーを入れた人が報告をするというルールにしましょう。
「ああ、ここが駄目で作るのを投げ出したんだ・・・」というキットも含めて。
供養してあげなくっちゃ。
11 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/01/19 12:37
> 初めにニッパーを入れた人が報告をするというルールにしましょう。

ええっ。それはつらいなあ。
となると、簡単にニッパーを入れられないじゃないですか。

12 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/01/19 17:54
作品展示に新作を追加しました。

塗装の練習に改造をしなくても良いキットを作ろう・・・と始めたのに、
やっぱり結局はグチグチといじる羽目に成ってしまいました。
ベースも試行錯誤したりと、一ヶ月くらいかかったでしょうか。

しかしこのキット、顔のモールドが激しいなぁ・・・と思っていましたが、
意外とまともな感じに成って、ホッとしています。
下塗りの段階では、仲代達也みたいだったのが、眉を書き入れたら美川憲一風に成ったのは不本意です。
眉は難しいですね・・・余談でした。
13 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/01/23 17:49
> しかしこのキット、顔のモールドが激しいなぁ・・・

やっぱり、顔は激しいです。
あと、被りもののせいか、頭が巨大に見えますね。

外套の生地の感じがよく出ています。
実物を参考にできるゆえの勝利でしょうね。

暖かくなったら、何を作ろうかなあ。

22 返信 キヤコン 赤いお母さん 2006/03/06 23:16
「1975年シベリア軍管区冬季野外演習における自動車化射撃部隊小隊長」

上記の作品をフィギュア部門に応募しました。
選外でした・・・無念。

でもまぁ、元気堂のコンテストといい、
模型屋のショーウィンドウに作品を飾ってもらったり、コンテストに応募するというのは小学生からの夢だったので、
(小学生の頃、スーパーマーケット主催のゾイド改造コンテストに出品して商品もらった事はあったけど)
それはそれで楽しかったなぁ・・・。

審査員の一人の方が、
「プロはまじめに作るだけでなく、雑誌を見てくれる子供達に夢を与える様な作品を作らなきゃいけない。」
という様な事を述べつつ、作品寸評をされているのを横で眺めていて、
アマチュアの私は、愛と苦痛と絶望に満ちた模型を作り続けてい行こうと思ったのでした。
軍隊や兵隊が好きで模型を作っている訳ではないからなぁ。

14 返信 60年代の国境警備兵 赤いお母さん 2006/01/28 00:48
以前から周囲に漏らしているとおり、現在60年代の国境警備兵をこさえています。
S・ザローガ氏の『Soviet Army Uniforms Today』7番の写真に写っている
パナーマ帽を被った国境警備兵in1966を再現したいと思っています。

素材はアランゲルのNKVDスメルシュのキットです。
このキット、部品の合いはえらく悪いですが、色気を感じるプロポーションに魅力を感じます。
少々胴体が太過ぎるかな・・・後、ブーツもスマート過ぎかと。
(ブーツの魅力はICMに一歩譲りますね)

それはともかくとして、60年代の国境警備兵という御題は、少々背伸びをしすぎた感があります。
とにかく資料が少ないのと、現物が手元にないという点で辛いです。
例えば下記の通り、現在4点において不明な点があります。

1.パナーマ帽
 60年代のパナーマ帽の形状は70年代以降とは違うという指摘を受けました。
 ベーケーシ氏の写真資料集に掲載されているパナーマ帽は、確かに形が違いますね・・・。

2.肩章
 国境警備隊は陸軍と違い、戦時中と同じ縁飾りが付いている古い肩章を用いているのでは、という指摘を受けましたが、
縁飾りが廃止された陸軍の規定に準じるのではないかという気がしています。
いくつかの写真を見る限り、縁飾りが無い様に思うのです。

3.マガジンポーチ
 比較的新しい7.62mm用の3ポケット型のポーチしか持っていないのですが、
写真を眺めていると、古い写真では、いくつか形状の違う物が写っている様です。
総じて、クリーニングキットを入れる細長いポケットが付いておらず、
ポーチ自体のフタも少々大きい様に思われます。

4.ルバシカ型のM43
 肘に補強用の布が付けられている物と、無い物が在る様です。

不勉強故に、ニッパーを入れてしまってから、次々と疑問が吹き出してまいりました。
何か情報がありましたら、提供して頂ければ助かります・・・。

・・・しばらく、このフィギュアはお蔵入りさせて熟成を計ろうかな・・・とも。
ルバシカにAK-47持たせりゃ50〜60年代は堅いぜ!という考えは甘かったかな。
15 返信 マガジンポーチ 赤いお母さん 2006/01/28 10:51
同じ写真集の中に、帽章と襟の形から69年以前と分かる国境警備兵が、クリーニングキット入れの付いたポーチを使用している物がありました。
彼らが持っているのは銃剣の形からAKM用だと思われますが、問題のNo.7に写っている連中はAK-47を持っていると思われます。
まぁ、少なくとも80年代頃とも同型のポーチが60年代にもある事が分かりました。
時代考証的にはセーフでしょうか。
16 返信 Re:60年代の国境警備兵 ヴェノーフ 2006/01/28 23:38
> 2.肩章
>  国境警備隊は陸軍と違い、戦時中と同じ縁飾りが付いている古い肩章を用いているのでは、という指摘を受けましたが、
> 縁飾りが廃止された陸軍の規定に準じるのではないかという気がしています。
> いくつかの写真を見る限り、縁飾りが無い様に思うのです。

 ロシア連邦国境警備軍軍事史集所収のヴァレーリー・クリコーフの論文
「国境警備兵の服装史」および「緑色軍帽の系譜」によれば、

A:1943年2月の服制改正で、国境警備兵の兵士の肩章と外套の襟章は
キイチゴ色のラシャでパイピングをすることになりました。戦後しばらくは、
ソ連軍で服制が変更されても、国境警備兵の服装は変更なしでした。

B:ベリヤの逮捕の後、1954年に内務省の要員の軍帽の青色の頂部が廃止されて
カーキ色の頂部に変更されても、国境警備兵の緑色の軍帽は残りました。

C:1955年6月に国防省は新しい兵科章を制定しましたが、国境警備兵は
自動車化射撃兵の兵科章を用いることが定められた。同時に国境警備兵の軍帽の
パイピングと将官のズボンの側線は赤色に変更されました。

D:1958年3月の所謂「マリノーフスキー改正」で、
国境警備兵の兵士の外套の襟章のキイチゴ色のパイピングが無くなりました。
しかし、改正が提案された彼らの軍帽の色は再び触れられませんでした。

E:1969年でも1973年でも、国防省は赤・黒・空色の3色だけを残す
ことにしたので、肩章と襟章と軍帽頂部の緑色も使用を制限すべき
という声が起こりましたが、結局、残りました。また、ソ連軍が肩章に
「СА」の文字を付けたのと同時に、国境警備兵も「ПВ」の文字を付ける
ことになりました。

 なぜかクリコーフ氏は「C」のパイピングの色変更の部分では、
軍帽と将官のズボンの側線しか話題にしていませんし、
「D」の「マリノーフスキー改正」の記述でも、
外套の襟章だけを問題にして、肩章のパイピングについては触れておりません。
なぜでしょうか?

 赤いお母さんも確認していると思いますが、
1963年の写真であるのが確実なのに、肩章にパイピングが確認できる事例が
あります。また、軍帽でも1955年以降の製品にもかかわらず、極端な場合は
1970年代の製品であるのに、キイチゴ色のパイピングが施された軍帽があります。
さらに、1970年代後半の写真でも1943年型ギムナスチョールカを着ていたり、
また、1943年型ギムナスチョールカや1969年型キーチェリが混在している
写真も見られます。例えば、ある写真では1969年型キーチェリの肩章には
「ПВ」の文字があったりなかったり、一方1943年型ギムナスチョールカの
肩章には「ПВ」の文字があったりします。

 おそらく、1970年以降の軍帽でキイチゴ色のパイピングが施されたものは、
古いストックを利用したものだと考えられます。その際、キイチゴ色は1955年
以降、国境警備軍では「赤色」と判断されていたのではないでしょうか?
また、パイピングのある肩章も古いストックが利用されていたのだと思います。
 1955年、1958年、1969年、1973年という改正は、制定の年号で、
使用禁止の年号ではありません。ただ、ソ連軍(地上軍)では1年後ぐらいをメドに
ほぼ完全に廃止されますが、国境警備軍では古いストックの利用が比較的長期間に
わたるのかもしれません。

 とりあえず肩章はパイピングなしでいいのではないでしょうか。
126 返信 Re:60年代の国境警備兵 ヴェノーフ 2008/08/17 17:56
最近、他のことを調べているときに偶然見つけた史料の中に
国境警備軍の軍帽のパイピングについての記述がありました
ので、訂正がてら、ここで紹介いたします。

かつてロシア連邦国境警備軍軍事史集所収のヴァレーリー・クリコーフの論文「国境警備兵の服装史」および「緑色軍帽の系譜」に基づいて、

1955年6月に・・・国境警備兵の軍帽のパイピング・・・は赤色に変更されました

、と記述し、さらに

軍帽でも1955年以降の製品にもかかわらず、極端な場合は1970年代の製品であるのに、キイチゴ色のパイピングが施された軍帽が

あるのは、


おそらく、1970年以降の軍帽でキイチゴ色のパイピングが施されたものは、古いストックを利用したものだと考えられます。その際、キイチゴ色は1955年以降、国境警備軍では「赤色」と判断されていたのではないでしょうか?

と論じました。

しかし、今回見つけた史料により、
国境警備軍の軍帽のパイピングは、1980年にキイチゴ色から赤色に変更されたことが確認できました。

それは1980年9月5日付けソ連邦大臣会議決議第763−250号(秘)で、ロシア語のまま、以下に該当部分を引用します。

Установить канты на фуражках
военнослужащих пограничных войск КГБ
красного цвета вместо малинового.

17 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/02/02 14:49
キットコレクションを更新しました。

しかし昨今のウクライナ、ロシアメーカーは素晴らしいキットを出してくれますね。
原型も素晴らしいのですが、型抜き技術も卓越しているのではないでしょうか。
精巧さや、リアリティだけではなく、魅力的なモールドという物を感じます。
・・・問題は入荷数が少ない上に、再入荷の見通しが暗い所でしょうか・・・メーカーのせいじゃないか、それは。

18 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/02/03 15:36
作品展示に新作をアップしました。


>ヴェノーフ同志
送って頂いた画像と原稿を、少し編集してアップしました。
作品タイトルや、画質に問題があったら連絡してください。
こちらのモニターでは空挺降下服の色が、
模型風に表現すると「カーキと、イエローオーカーかサンドブラウンの混色」系、
軍装風に表現すると茶系の3303生地の色系でしたが、
フォトショップの「自動レベル調整」をかけてみたら、グリーン系の色になったので、それで処理してみました。
降下帽の画像は、そのままです。
19 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/02/03 15:41
> 作品展示に新作をアップしました。

お手数をおかけしました。

色調などはこちらのモニターで見ると、
送った画像と変わりなく、問題ありません。

しかし、お手軽・怠慢モデリングだな。

20 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/02/17 23:15
作品展示に新作をアップしました。

アランゲルのスメルシュに流用部品をくっつけてお手軽モデリング・・・
のつもりがえらい事に成ってしまいました。
何か背伸びをしてしまった感じです・・・勉強には成りましたが。

もう1969年以前には手を出さない事にします・・・余り満足感が無いので・・・。
21 返信 Re:更新報告 赤いお母さん 2006/02/20 17:39
いくつか誤植がありましたので、修正しました。
特にネタ元の写真集の名前を間違えていた為、正しい物にしておきました。

23 返信 作品拝見! 戦車親父 2006/03/09 02:34
いやぁ、凄い情熱ですね。
戦後からの労農赤軍の軍装が見事にミニチュアで再現され、しかも資料として一級品とは驚きました。
正直、この年代は全くシロウトな私ですが、もっと見たい・・(笑

>「プロはまじめに作るだけでなく、雑誌を見てくれる子供達に夢を与える様な作品を作らなきゃいけない。」

某コンは惜しかったですね。
そうですか、そんなことを審査の方が仰るんですか。

主催者の販促目的は既に超越して某AFV誌のライター登竜門です。
聞くところによると実際お店への集客効果はあまり期待できないそうです。厳しいんですね。それでもAFVモデラーにとっては勲章ですか。
今回は以前の仲間が数人入賞しました。どれもいい作品で私も嬉しいです。

>軍隊や兵隊が好きで模型を作っている訳ではないからなぁ

私はこんなシーンがよく作品の題材として浮かぶんです。
ガダルカナルの砂浜に累々と横たわる一木支隊の兵士、それを履帯で挽肉にしていく米軍のM3。
開放されたビルケナウ収容所の敷地一杯に打ち捨てられたユダヤ人達、それを黙々と押していく米軍のブルドーザー。

そんな私はやはり不真面目ですな(笑

鉄のカーテンの向こう側、もうちと見たいものです。期待しています。

24 返信 Re:作品拝見! 赤いお母さん 2006/03/10 18:56
御覧頂きありがとう御座います。


> 戦後からの労農赤軍の軍装が

私もこの辺りに関しては明るくないのですが、
戦後間もない1946年2月に国防人民委員部(陸軍)と海軍人民委員部が、軍事人民委員部に統合され、
3月には軍事力省と名称変更がされるのに伴い、労農赤軍もソ連軍へと名称変更がされた様です。
よって赤軍愛好会別院と称しつつも、当サイトには未だ、赤軍兵士の模型は一体も無いのです。酷いですね(笑)。

最近は良質な大戦中の赤軍兵士の模型が、ロシアやウクライナから多く発売されていますが、
我々はそれをせっせと戦後のソ連兵士に改造してしまいます。
世の中では戦後の服が、せっせと大戦中の物に作り替えられているにもかかわらず!


> >「プロはまじめに作るだけでなく、雑誌を見てくれる子供達に夢を与える様な作品を作らなきゃいけない。」

話を伺っていた方は、プロに成りたい方の様で、プロになる為の一工夫を知りたかった様ですし、
「夢を与える」=「模型を作りたくなる」というニュアンスだった様なので、雑誌に歓迎されるプロとしては、それはそうなんでしょう。
昔、模型屋のショーウィンドウに飾ってあった完成品にドキドキした思い出を子供達に・・・という思いも在った様ですから、それはそれで良いと思いますが、
問題は大人の側がどういう意識を持っているかが、どういう模型を作って欲しいと思っているのかが、気になります。

それに「作る楽しみ」という美名で、スケールモデルの王道がないがしろにされている感じを受けます。
スケールモデル(含むヒストリカルフィギュア)の王道は、徹底的なリアリズムだと思います。
リアリズムの道は、調査の手間を考えると茨の道ですし、テーマがテーマですから、陰惨な面もあるのは戦車親父さんも書かれている通りです。
しかしながら、それらから回避しようという雰囲気が、良く見受けられます
(まぁ、そっちの方が作る方も、見る方も楽ですし)。
それにコンペで受賞していた作品にしろ、誌面を飾る作品にしろ、リアリズムよりも、いい雰囲気の模型が歓迎されている空気を感じました。
それを否定はしないし、ありだけど、王道では無いでしょ?と。
スケールモデルのディオラマと、箱庭は違うでしょ?と。

それと現実の物を再現しようとしているの?それとも戦争映画や戦争絵画を再現しようとしているの?という問題も感じます
(特に「ダイオラマ」のレイアウトや、フィギュアの制作に)。
戦争映画を模型化するのは出来上がった作品は一見同じでも、それはガンプラと同じ世界だと思うんですよね。
きちんとけじめは付けて欲しいなぁ・・・。

私は王道は大切にしなければ成らないと思っています。
王道がしっかりあるから、外道が外道として楽しめるのですから。
外道が王道に、王道が外道に成る様では、それは完全に違う世界に変わったんだと思います。
それを認識した上での革命であれば、仕方がありませんが。


とか言いつつ、現在製作中の模型は、映画なのか現実なのか微妙な物なので、当サイト的には不許可模型に成ってしまうかも知れません(笑)。
25 返信 Re:作品拝見! 戦車親父 2006/03/11 07:35
>当サイトには未だ、赤軍兵士の模型は一体も無いのです。酷いですね(笑)。

実は私はWW1以後のフィギュアはミリタリーフィギュアとしてヒストリカルから区別しています。1/35MMおよび類似したもの(ドラゴンや同スケールのものすべてを含みます)、いわゆる普通のAFVモデラーの車両のオマケとヒスト的に仕上がったものが一般人には見分けがつかないからです。
でもこちらのフィギュアたちは正しくヒストリカルフィギュアなのだと強く認識しました。

> 世の中では戦後の服が、せっせと大戦中の物に作り替えられているにもかかわらず!

実に楽しい限りです。面白いですね、実に!

>徹底的なリアリズムだと思います。

そうです、そこですよ、私がこちらで感じたのは深い考証とリアリズムです。これこそがヒストリカル・フィギュアの王道です。
(最近はヒストリカル・フリーダムなんて言葉もあるんですが・笑)
また、ミリタリーモデリングにおける王道も仰る通り!

>箱庭は違うでしょ?

戦争の道具のミニチュアですよ。どれとして戦争という大量無差別殺人の道具で無い物は無いのです。リアルな戦争を避けて、目にやさしい情景を箱庭よろしく作り出しているに過ぎません。構図が、工作が、色がよろしいなどと、一番大事なものがすっぽりぬけ落ちているのです。

ある友人が、自作のミリタリーものを自分のオフィスに飾っていたら、訪れた客人に「あなたは戦争が楽しいのか?」と真顔で訊かれたそうです。

> 王道がしっかりあるから、外道が外道として楽しめるのですから。

私の作品はその殆どが過去の記録に基づいたフィクションです。いわば外道ですね。そんなに赤くないはずの乳頭のおねいちゃんが出来るわけです(笑
こんな話題をしているうちにリアルな戦争情景を作りたくなりました。
でも戦争がどのくらい酷いことなのか、私も体感してないのでやっぱり陳腐なフィクションになっちゃうんだろうなぁ。

いきなり濃厚なお話でしたね、でもとても楽しかったです。
(バームさんとは電話で2時間はこんなことやってるんですよ)


26 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/03/20 16:12
キットコレクションに中国・ベトナム関係のキットを加えました。
とはいえ国際共産趣味ネット:模型館へのリンクですが。
その他、若干サイト内を見やすくする為、整理しています。

新しいコンテンツが作れない時は、模様替えに限ります。

27 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/03/27 17:52
キットコレクションを更新しました。
ソ連軍のキットにいくつかレビューを付けました。
暇はあるのに、集中して模型を触れない時は、レビューを書くに限ります。

戦間期、大戦期の軍装については無知故に、私がレビューを書くのは無理なので、手が空いたら宜しく。
>ヴェノーフ同志


余談ですが、昨日TFSの定例会に参加してきました。
写真集を見ても、襟の重なりで隠れているコートの右前身頃(和服で言えば左前)や、背中側の形状が分からないという話が出ました。
立体物であるだけに、誤魔化しの利かない部分がありますから、確かに写真だけでは辛い部分もあるでしょうね・・・現物に当たらないと。
とはいえ、現物の数も少なければ、偽物もたんまりで、古い時代の物は大変そうです。
もっとも1/35や54mmスケールなら、在る程度は誤魔化せるんでしょうが。
28 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/03/28 22:54
> 戦間期、大戦期の軍装については無知故に、私がレビューを書くのは無理なので、手が空いたら宜しく。
> >ヴェノーフ同志

えぇっ、私がですか。ともあれ、今は到底無理ですねぇ。
他人任せにせず、自分でチャレンジしてみたら、どうですか?
大戦中の軍装の知識を得ることも、
戦後の軍装研究のためのいい勉強になりますよ。
>赤いお母さん同志

29 返信 新商品 赤いお母さん 2006/03/31 18:54
ICM、ミニアートなどが精力的に(良質な)ソ連兵のフィギュアを出してくれる世の中ですが、
マケットからもPK-43フィールドキッチンとフィギュアのセットが発売される様です。
PK-43フィールドキッチンはともかくとして、炊事兵のフィギュアだったら有り難いなぁ・・・と思いつつ、
PK-43フィールドキッチンって、あのPK-43フィールドキッチンのキットか!?
あれをそのままパッケージを買えて再販するのか!?
と思うと背筋に冷たい物が・・・。

http://hobbyworld.aoshima-bk.co.jp/scripts/hw/seek.aspx?seek_code=MAQ06032403

30 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/04/06 19:02
キットコレクションと作品展示を更新しました。

ようやく新作をアップ出来てホッとしております。
31 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/04/06 21:15
> ようやく新作をアップ出来てホッとしております。

ローゼンバウム、傑作ですね。
81年型スペッツナズ服もよく再現されていますね。

ますます手法も題材も「平田メソッド」化していきそうですね。
次は徴兵検査を受けるカレーリンですか?
32 返信 Re:更新報告 赤いお母さん 2006/04/07 02:53
> ローゼンバウム、傑作ですね。

ありがとう御座います。
角度によって、似て見えたり見えなかったり・・・写真では実物以上に似てないなぁ。
それでも説明無しに見せて、一発で分かる人には分かったので、目的は果たせたかと。
模型生活に挫折しそうに成るたびに、ローゼンバウムの歌を聴いては泣き、気力を奮い立たせておりました。
とにもかくにも、机の上に並び立てた禿親父の写真をかたづけられるかと思うと、素直にうれしい。
いえ、愛してはいるんですよ、この禿親父を。

> 次は徴兵検査を受けるカレーリンですか?

徴兵検査にしては老けすぎですな・・・。

それはそうと中央軍事博物館にあった写真を見返していて、政治部長代理が持っている帽子、かなり古いタイプのアフガーンカ帽だと気づきました。
一瞬、スペッツナズ帽かと思いましたが、帽体の形が違いますね。
34 返信 Re:更新報告 ヴェノーフ 2006/04/08 00:18
> それはそうと中央軍事博物館にあった写真を見返していて、政治部長代理が持っている帽子、かなり古いタイプのアフガーンカ帽だと気づきました。

そうですね。実物は市場にでてきませんが、
この耳被いのボタンが露出したタイプは
過去にも写真で確認したことがあります。
最も初期のものは耳被いのないものだったかもしれませんが。

今後、市場にでてきた場合、真贋の判定は難しいでしょうね。

33 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/04/07 04:57
キットコレクションを更新しました。

とりあえずアップすべき物はアップしました。
・・・これで部屋の片付けが出来る・・・。

35 返信 TANKの新作 赤いお母さん 2006/04/27 18:49
どうやらアランゲルから出ていた原型に手を加えて出す様ですね。
というか、元々こちらが原型なのかな?
http://www.tank-model.ru/catalogT4.htm

アランゲルのキットは簡易金型の様で、最近買った物は
キットの表面が荒れたり、アルミの屑が付着したりと、随分と劣化していたので
こういう形で再販してくれるのはファンには有り難いかも知れません。

もっともインジェクション好きとしては辛いんですけどね。
改造用の素体に使いづらいし。
現在もTANKのレジンキットを作っていますが、
削っていると、パーツがバキッて折れるんですよね・・・レジンは。
塗料やパテの食い付きも悪いし。
やだやだ。

36 返信 ソ連軍のセーター 赤いお母さん 2006/05/06 05:13
TANKのチェチェン物をいじってソ連物を制作しておりますが、
この一連のチェチェン物フィギュアのアイコン的表現として、タートルネックのセーターが挙げられます。

タートルネックのセーターを防寒服の下に着込む事は、アフガニスタンでの写真でも見かける事が出来ます。
しかしながらソ連軍の服装規定には、管見ながらセーターに付いての記述を見受ける事が出来ません。
もしかして、特殊被服・装備として存在していたのでしょうか。
あるいは私物を持ち込んでいたのでしょうか。
ソ連時代のニット製品だと、ニットのフェイスマスクや、M84冬季野外服のニット部分と同様のピンクっぽい物なのでしょうか。
悩ましいです。
37 返信 Re:ソ連軍のセーター 赤いお母さん 2006/05/06 16:58
資料を見直していたところ、中央軍事博物館のアフガニスタン関連の展示の中で、
ニットのフェイスマスク、RD54空挺リュック、山岳パーカー、タートルネックのセーターという組み合わせの陳列が在った事を思い出しました。
このセーターがオフィシャルな物だったのかは分かりませんが、フェイスマスクやM84で使われているニットと同じ素材だった事から、民生品とは考えにくい気がします。
少なくとも軍需物資を作っているラインで作られている物でしょう。
(軍装考証的に優れた『レッドストーム(原題:アフガンブレイクダウン)』の中で、衣装として着用していたのも同じ物でした。
 逆に中央軍事博物館に在った物を参考にしたのかも知れませんが)

考証的には上記の物で良いのだろうと初めから考えてはいたのですが、D・デズモンド氏のロシア・ソ連軍の迷彩本に、冬用セーターの解説入りで、灰色のセーターが出てくる事から、悩ましい事に成っています。
そんなのも在ったのでしょうか・・・それとも海軍用とか、民警用とか・・・。
でも、デズモンド氏だからなぁ・・・とも。

もっとも下記のページの画像の様に、私物はもちろん、灰色っぽい物も身につけてはいるので、そういう姿は在ったのでしょうが。
http://www.lenvoku.ru/index.php?p=4&a=122#
http://www.lenvoku.ru/autopics/1703.jpg

38 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/05/11 13:51
キットコレクションに追加しました。
39 返信 更新報告訂正 赤いお母さん 2006/05/12 14:45
誤)キットコレクションに追加しました。
正)ギャラリーに作品を追加しました。

今回は、まじめにソルジャーを作りました。
平田メソッドで顔を塗っていたのですが、何故か失敗して、普通に塗ってしまいました。
なんだか出来が良くなくて、後から取り出しては、顔のグラデーションをやり直したりしています。

(ヒストリカル)フィギュアは、自分が服飾にこだわっている分、待ったなしのリアリズムを求めすぎて、前のめりに倒れました。
しばらくAFVに逃げます。
40 返信 Re:更新報告訂正 ヴェノーフ 2006/05/12 18:48
> 今回は、まじめにソルジャーを作りました。
> しばらくAFVに逃げます。

塗装がますます上達してますね。
塗装法がヒストリカル系のフィギュアから離れてきましたね。
私としては歓迎なんですが。

そろそろ私も作らないと。
41 返信 Re:更新報告訂正 赤いお母さん 2006/05/13 11:32
> 塗装法がヒストリカル系のフィギュアから離れてきましたね。

そうですか?
炭酸マグネシュウム以外は技法を変えてないので、題材のせいではないでしょうか。
(ヒストリカルフィギュア系の人は、油彩風のセミグロス傾向にあるので、
 ガサガサしたリアル指向の艶消しを目指すのは、そっち系では無いのかも知れませんね・・・)

しかし逃げた先が、結構な茨の道でして・・・。
東欧キットは合いが悪いだの、ひけ・バリが凄いだの言いますが、この程度は昔のガンプラで経験済み(でもないか)。
タミヤのキットなんて20年前にT34/76を作っただけなので、比較のしようが御座いません。
・・・が、しかし説明書が分かりにくいのみならず、間違っているというのは勘弁して欲しいです。
素組なのに実車資料が欲しい!だなんて、ICMのウチョース機関銃の思い出がフラッシュバックしてきます。
ハルハ河紛争関連書籍一冊と箱絵だけが頼りというのは、冷戦時代のオスプレイ軍装本を眺める様な気分です。
某誌の記事は糞の役にも立たず。
ファミコンの攻略本でも読んで、役に立つ記事とは何かを考えて欲しい物です(怒)。
・・・アフターパーツってのは、ある種の逃げだな。男前じゃねぇって事が良く分かった。

42 返信 ははぁ、BT7でしょうか? 戦車親父 2006/05/17 06:00
ご無沙汰しています。
先日貼り付けていただいたバリ島の女性が私の家内にクリソツなので
思わずモニターに向かって「愛してるよ」などど言ってしまいました。
新作、特に足元のズボンの皺の入り方や靴紐をリラックスした半長靴が新鮮でした。資料的価値がある点で立派に歴史を語っています。

>油彩風のセミグロス傾向
油彩を使うというのはまさにそのメリットなのであって、グラデーションだけではすでに独壇場ではない、というのはご存知Snakestoneさんの受け売りです。私もヴァレホを多用するに至って艶消し具合の調節による質感表現や色の乗せ方による表現をいろいろ試すようになりました。ヤレヤレですがw

>ハルハ河紛争
サイダー壜にガソリンを詰めて対戦車擲弾にして使った、というエピソードを北見の郷土研究家の著作で知り、再現してみたくなったことがあります。戦車部隊撤収後には悪名高い731部隊の投入もあったそうです。敵を舐めてかかって大火傷をした、後の愚行がここで最初に行われたことを誰も止められなかったんでしょうか。
辻中佐こそ陸軍におけるA級戦犯であると私は確信するのです。

私はBT42をいつか作ってやろうと密かに思っています。
ソ芬戦争って好きな題材なんですよね。

43 返信 御明察 赤いお母さん 2006/05/17 16:17
「イースタンエクスプレス」のBT-7です。
本当は「ズベズダ」のBT-5が作りたかったのですが、AFV初心者にはキツイかな・・・と思いまして。

東欧キットに関する武勇伝を聞いておりましたので、躊躇しておりましたが、よくよく考えればモスクワの小学生は地元のキットを作っているんですよね。
日本の大人が不平を言ってはいけない事だ・・・と考え直しました。

この時代の戦史や軍装は、全く知らないのですが、模型を作りながら写真を眺めていたら、なかなか良い物ですね。
特に軍装には新しい興味を持ちました。
もう少し勉強せねば・・・と思いつつ、ついつい手を動かしてしまうんですよね。
自重せねば。


>油彩風セミグロ

ミニチュアパーコさんから伺いましたが、Snakestoneさんはヴァレホカラーで、油彩風のセミグロを表現しようとされているとか。
ヴァレホカラーか、シタデルカラーを用いて油彩風に塗るという手法で、ワセリンを混ぜるという方法を聞いた事はありますが・・・ボロッといきそうな手法ですけど。
最近はヴァレホカラーのメディウム類も出ているようですし、表現の幅は広がりそうですね。
私は黙々と炭酸マグネシュウムを混ぜるだけですが。

44 返信 出来上がったら見せてね 戦車親父 2006/05/17 16:36
でかいサーチライトを装備したのがありますよね、かっこいいですね。
BT7、楽しみにしていますよ。

不整地ではトラックリンクで、道路は装輪走行とは恐るべしロスケ!
と思いきや、これはアメリカ人の発明品を忠実にコピーした結果で、
当のヤンキー達はこの素晴らしい発明をわざわざ外国に売り渡して
いたのですね。敵にしなくてようござんした。
英クルセイダーと異母兄弟になるとは、面白いものですね。

オトポールの奇跡で最近注目されている樋口季一郎陸軍中将は
1945年8月17日占守島で戦車11連隊を擁して、停戦を反故にして
上陸してきたソ連水陸両用部隊を逆落としに撃退、大損害を与えました。
日本側も中隊長を初め、多くの戦死者と損害を出しております。
チハ改、ハ号を持って強力なソ連軍戦車と戦うとは、まさに
大和魂の権化としか言いようがありません。

集団的自衛権だの憲法違反だのと、不毛の議論している人たちに
よくよく知ってもらいたい史実でもあります。

樋口中将はフィギュアにしてみようかなと思っているところです。

>ワセリン
うっ、その手があったか・・・
無理しないで、バレホの上から薄く油で塗りゃいいじゃないですかw

>Snakestoneさん
彼はあくりるけんちゃんと呼ばれています。
45 返信 >ワセリン 赤いお母さん 2006/05/18 16:41
油彩の艶を再現するというよりも、筆目や厚みといった質感を再現する趣旨の様ですね。
昔、雑誌か何かに乗っていた技法だとか。
詳しくは失念いたしましたが。

無理にワセリンを添加しなくとも、アクリル絵の具のメディウム類で対応出来そうです。
そういう物が無かった時代の話なのでしょうか。

・・・というか塗料がキチンと凝固しなさそうです。
食い付きも悪そうですし。
最近は油彩の後に、アクリルカラーで仕上げをする人もいる様ですが、油の上に塗るのだから、時間が経つと剥離するのでは?という意見も伺いました。

46 返信 ワセリン2 戦車親父 2006/05/19 09:54
↑こう書くとなんだかソ連時代の秘密基地のような・・

アルベルト・ヴァーガスは水彩のブレンディングをする為にグリセリンを使ったそうです。絵の具の乾燥が遅くなるので、その間絵の具の境目を筆でぼかすというわけです。あの肌色は水彩のW&Nのベネチアン・レッドだそうで、気がつけば私も油彩のベネチアンを使っていました。私の場合は松岡さんのモノマネに過ぎませんがw

>筆目や厚みといった質感
ワセリンじゃ乾いてもポロッとなるかも知れませんね。

運良くハンブロールのフレッシュを入手できそうなので、肌色の下地をこれでやろうと思っています。
油彩とも混ぜて使えますし。

47 返信 リンクに関して 赤いお母さん 2006/06/13 21:42
諸事情色々あり、協議の結果、リンクフリーに致しました。
48 返信 Re:リンクに関して 赤いお母さん@別院別当 2006/06/14 01:42
「いやぁ、うちはリンクフリーじゃないんですよ。すいません」
などと各所で言っておきながら、今更リンクフリーに(私の希望で)した事に関して、
少しは何か述べておかないと無責任かも知れないので、少しコメントを。

アクセス数が少ないというのも理由の一つだと言う事は正直に申しておきます。はい。

更には、出先(?)の掲示板にリンクを貼れないというのも、不便だという事。
(アドレスをメールでコッソリ送ったり、メモ用紙に書いてコッソリ手渡しするのも、不便ですし)
それにせっかく面白いと思ってくれた方が、自分のサイトや掲示板にリンクを貼れないというのも、大変心苦しい物があります。

しかしながら一番の理由は、ネットワークに積極的に繋がるべきではないか?という思いがあるからです。

このサイトは模型のサイトの姿をした軍装研究のサイトです。
確かに、軍装研究のサイトであれば、コッソリと運営され、情報を必死で検索していた人間の目だけに触れればよい。
更には、そういう必死に情報を求める人間同士だけで、情報交換が出来るスタイルの方が、運営側としても利益率が高いし、何より害が無いわけです。
軍装研究に関しては、扱う情報やコレクションに関して、余りおおっぴらにしたくない。
更には中途半端な熱意や心構えのコレクターなどとの接触、閲覧は不幸な結果をもたらしやすく、またそういった過去があります。

しかし一方で、このサイトは模型的サイトでもあります。
軍装品を直接扱う様なデリケートさはありません。
そして世界的にも不人気らしいヒストリカルフィギュアの中でも、
更に不人気で模型(AFV)雑誌で特集すると抗議まで来るというミリタリーフィギュアの、
その中でも誰も関心を持っていない赤軍のフィギュアを扱っています。
(そりゃアクセス数が延びないハズだ・・・今後も延びない事間違い無し)
そして私たちは、そんなフィギュアを取り巻く状況に憂いを持っているハズです。

フィギュアは、おまけなのか?
フィギュアの軍装は、どうでも良いのか?
フィギュアを作るのは、AFV模型工作作業の息抜き程度の手間なのか?

いいえ、そんな事は無いはずです。

出来の良いとされるフィギュアの軍装は、どれも正確なのか?
「メン・アット・アームズ」のイラストは正確なのか?
ヘッドはホーネットに代えれば、ディテールアップしたと思っているのか?
顔が巧く塗れていて雰囲気が良ければ、それで万事O.K.なのか?
砲塔が鋳造かプレス加工か気にかけても、服の生地はどうでも良いのか?
溶接跡のディテールアップをしても、服の縫い目は無視して良いのか?

いいや違う!断じて違う!!

軍装の考証は、難しく、シビアで、奥が深い。
そしてフィギュアキットを完成させる事、それは苦しくて苦しくてたまらなく甘美な作業である。
そして、それを出来るだけ多くの人に知って欲しい。

それに日本では認知が余りされていないヒストリカルフィギュアを普及させるべく戦っている同志達の戦列に、我々も加わるべきでは無いだろうか?


とまぁ、そんな訳で、学芸員の同意も得て、リンクフリーにしました。
(リンクをフリーにしたくらいで、そんなに騒ぐなって?)
49 返信 Re:リンクに関して 赤いお母さん@別院別当 2006/06/14 02:06
追記

大切な事を書き忘れ。
当サイトの重要なアティチュードとして、
軍装研究や模型の世界におけるドイツ軍(特にナチスドイツ時代)偏重と礼賛のプロテストがあります。

別にドイツ軍の兵器や軍装が嫌いな訳ではありません。
(好きな訳でもありませんが)
ただこの世界の、不必要かつ不自然な人気の偏りと賛美に対する抵抗です。
もう少し他の世界にも光を当てたり、目を向けるべきではないか?という程度の。
50 返信 訂正 赤いお母さん@別院別当 2006/06/14 11:46
> 砲塔が鋳造かプレス加工か気にかけても、

「鋳造」か「溶接」かですね、普通。
防盾ならいざ知らず。

あ、でも「鍛造プレス」ってのもあるのか・・・深いなぁ。
http://www.ann.hi-ho.ne.jp/maxim/a/frame.html

51 返信 記事の訂正 赤いお母さん 2006/07/02 13:32
作品展示の
「1980年代後半 アフガニスタンを慰問する アレクサンドル・ローゼンバウム」
の記事の中に、間違いが在った為、訂正いたします。

記事の中で「黒いチューリップ」を「戦死者を入れる鉛の棺桶の事」としていますが、これは間違いです。
「黒いチューリップ」とは、アフガニスタンからソ連邦ウズベキスタン共和国まで、戦死者の遺体を運ぶ航空機を指しました。
これは棺桶の製造と輸送を担当した公社の名前が「黒いチューリップ」だった事から来ているそうです。
現在では、チェチェン紛争での戦死者を運ぶ遺体運搬車を指すスラングとしても、使われている様です。

なお、棺桶の素材も「鉛」ではなく、「亜鉛(のメッキ)」の間違いでした。

この「黒いチューリップ」公社、元々は家具メーカーだった様です。
当初は木製の棺桶だったのでしょうか?
情報を提供してくれた方の一人に、今でも公社はあるのか訪ねた所、
「知らないけど、もう無いんじゃないんですか?ウズベキスタンでは棺桶の需要は、あまり無いし。ムスリムは棺桶を使わないから」
との事。

そのうち、記事も訂正しますが、取り急ぎ訂正。

52 返信 更新報告 赤いお母さん@別院別当 2006/07/18 15:10
ギャラリーに作品を追加しました。

ただサーバーの不具合でしょうか、頁が開けない状況が続いています。
むかつくなぁ・・・。
53 返信 Re:更新報告 赤いお母さん@別院別当 2006/07/18 22:24
更新出来ましたぁ。
サーバーというよりも、こちらのソフトに不具合があった様です・・・たぶん。

win95/98と使っていたソフト類がXPだと調子悪いなぁ。
ホームページビルダーvol.6は不具合が出ていなかったのですが・・・いよいよか?
「DELLだからですよ。」という意見もあり。

むかつくなぁ・・・これだからデジタルは。
殴ったろかぁ・・・殴りゃ何でも治るんだよ。
(という発想で何台機械を壊した事やら)
56 返信 東トルキスタン共和国 赤いお母さん 2006/07/19 00:39
今回、東トルキスタン共和国の民族軍兵士を、資料もろくすっぽそろわないまま、見切り発車で作ってしまいました。
情報をお寄せ頂いた同志の皆様には深く感謝。

1/35では再現しきれないので、余り関係ないのですが、
主に参考にした『中国百年軍服』の図版、以外と間違いがあって閉口します。
肩章の形がソ連式の五角形ではなく、六角形の様だと、後から分かったのが一番痛いですね・・・。
しかも階級章の星の付け方も違う気が・・・。
http://www.uygur.org/enorg/etr/stc_madayonliri.htm

図版ではパイピングが入っていたので、ソ連軍将校用のウール製ピロートカを、民族軍兵士が流用しているのか?と推測しましたが、
どうやら普通のパイピング無し木綿製を用いている様に思います。
http://www.uygur.org/images/stc/stc_armiyisi_manasta.jpg

更にこれは1/35では余り関係ないのですが、
ボタンに刻まれているマークは、図版では「星の中(上)に新月」と成っていますが、
どうも「新月に包まれた星」というイスラム的なマークの様です。
ちなみに写真は、東トルキスタン共和国イリハン・トレ主席。
『東トルキスタン共和国研究』の写真とは、えらいこと顔が違うなぁ・・・。
http://www.uygur.org/enorg/etr/alihan_tore.htm


ちなみに画像は、こちらから閲覧しました。
http://www.uygur.org/enorg/etr/1944_1949.htm

57 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/08/02 03:00
キットコレクションに少し追加しました。
まだ画像がアップ出来ない物もあり、近々また更新します。

アジア顔目当てに、ズベズダのマキシム機関銃チームのキットを買いました。
開けてみて、これはミニアートの初期2キットの原型師だな・・・と確信しました。
しかも良くヘッドを見ていると、何処かで見た記憶が・・・はたと思い出しました。
これTANK社の「soviethead#8」じゃないですか!
(TANKのキットの中に、こんなヘッドは見た事無いし、首の角度が変だよな・・・とは思っていたのですが)

なるほど、あのレジンキッドで再現されたモールドが、インジェクションキットになると、こういう感じになるのか・・・と勉強になりました。
・・・私個人は、この人の作品は余り好きでは無いんですけどね。モールドがコチャコチャし過ぎていて。

ちなみに目当てのアジア顔のヘッドは、インジェクションの方が良い感じです。
ズベズダのキットを買う方が、TANKのヘッドセット買うより安いというのは悩ましい・・・。

62 返信 更新報告 赤いお母さん 2006/09/16 13:02
「赤軍博物館分館」を設置しました。

「赤軍博物館」本館の記事へのリンクが殆どですが。

67 返信 掲示板の変更について 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:47
リクエストに対する協議の結果、模型掲示板と軍装掲示板とを入れ替えて運営する事と成りました。

ツリー/スレッド形式の表示が出来る、こちらの掲示板の方が、同時並行的に複数の話題を扱い安いという事からです。

よって、こちらの掲示板は、これからは軍装をテーマとした掲示板として御利用下さい。
度重なる変更にご迷惑をおかけしております。
しばらくは、この体制で運営していきたいと思います。

68 返信 大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:54
掲示板変更に際して、旧軍装掲示板に書き込みされた話題を、順次転載します。
−−−

投稿者:赤いお母さん 投稿日: 9月20日(水)00時57分35秒

こちらの新商品紹介コーナーで(http://www.ann.hi-ho.ne.jp/maxim/a/frame.html)
ミニアートの新商品のソ連赤軍戦車兵(http://www.miniart-models.com/35034.htm)の箱絵についての疑問が述べられていました。
戦後型とされる、黒い戦車兵の軍装が、大祖国戦争中の絵として描かれている事について。
ミニアートの箱絵では、この商品に限らず黒いつなぎは描かれていますが。

私はこの時期に関しては全く知識が無いのですが、
こちらのサイトの頁(http://www.rkka.ru/uniform/files/i_btmv.htm)では、黒いつなぎも出てきます。
いつ頃制定された物なのでしょう。
(興味が)戦後世代の私は、逆に黒から保護色に変わった時期しか興味が無かったのですが。

ソ連の戦車兵はキットも在りますし、作る人も多いのに、意外と知られていない気がします。
69 返信 >大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:56
投稿者:ヴェノーフ 投稿日: 9月20日(水)19時04分32秒

私は戦車兵の軍装については門外漢なのですが、
「大戦中の戦車帽は革製以外はグレーで、ツナギは藍や青、ブルーグレーで、
箱絵のような黒のツナギと戦車帽は戦後という定説」という説明は一般的には
正しいと思います。

しかし、最近では、カラー映像を証拠として、1945年6月24日の赤の広場での
戦勝パレードで、戦車兵が、黒のつなぎに金色の肩章、外套用の襟章を付けて参加した
ことは確実と考えられています。ただし、これは両大腿部にポケットの付いており、
キットのつなぎの形状とは違うようです。

またПавел ЛИПАТОВのУниформа Красной Армии,
Знаки различия,обмундирование,снаряжение
сухопутных войск Красной Армии и войск
НКВД 1936−1945 г.г.,《ТЕХНИКА−МОЛОДЕЖИ》,
2001では、61ページ下の写真のキャプションに
”На черных комбинезонах танкистов
пристегнуты полевые погоны,”云々とあり、
しかも1944年の写真としているので、戦車兵の黒いつなぎが1944年時点で
存在していたことを示しています。写真を見る限り、これは一般的なつなぎの形状に
近い感じがします。

ただ、ひょっとすると、油などで汚れたものや褪色したものを暗青色や灰色よりも暗い色、
例えば、黒で「色上げ」しているのかもしれません。
というのは、1980年代のハンガリー人民軍の戦車兵の夏服は一般の兵隊と同じオリーブグリーンの
M65野戦服でしたが、ズリーニ出版が発行した公式写真集の中には、黒色の野戦服を
着ているものがあり、ハンガリーの軍装研究家に尋ねると、黒で「色上げ」したもの
との解答を得ましたので、大戦中の赤軍でも、同様のことをしていた可能性は否定できない
からです。
ちなみに旧日本軍でも木綿製の被服は、褪色した場合、「色上げ」をするのが普通だった
ようです。
70 返信 >>大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:57
投稿者:ヴェノーフ 投稿日: 9月20日(水)19時18分9秒

>ちなみに旧日本軍でも木綿製の被服は、褪色した場合、「色上げ」をするのが普通だったようです。

もちろん、黒ではなく茶褐色にですが。
71 返信 >>>大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:58
投稿者:赤いお母さん 投稿日: 9月20日(水)20時51分58秒

なるほど、非常に興味深い所ですね・・・。
この時期の軍装の染料だの、生地だのは、中国なみに泥沼っぽいですね・・・レンドリースも在るので。

・・・無難に塗装するなら退色したグレー・・・。
72 返信 >>>>大祖国戦争時の戦車兵服装色(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 05:59
投稿者:ヴェノーフ 投稿日: 9月21日(木)20時50分39秒

>・・・無難に塗装するなら退色したグレー・・・。

そう、無難になら褪色したグレー。

でも、ミニアートの箱裏の塗装例は、戦車帽もつなぎも
はっきりと「Black」および「Черный」と指示していますね。
73 返信 >グレー(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:00
投稿者:ヴェノーフ 投稿日: 9月22日(金)15時53分36秒

>そう、無難になら褪色したグレー。

ひとくちに「グレー」といっても範囲が広いから、塗装色の判断に悩むのではないでしょうか。
74 返信 >>グレー(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:02
投稿者:赤いお母さん 投稿日: 9月22日(金)17時16分57秒

確かに。
ただ「色上げ」に使った染料は、後の黒い染料だとすると、余り退色はなさそうですね。
埃を被ったり、日に焼けたりしても、こういう感じには成らなさそうです。
(http://www.rkka.ru/uniform/files/btv11.htm)

個人的には、これらの服が「походный」という表現なのが興味深いです。
「полевой」では無くて。
戦勝パレードに着用された服は、後者ですが。
75 返信 >>>グレー(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:03
投稿者:ヴェノーフ 投稿日: 9月22日(金)17時51分26秒

元からグレーの場合、褪色すれば、さらに薄い色になるわけで。
また製作当初から薄めのグレーの場合もあるだろうし。

ましてや、本やサイトでの再現写真のつなぎが大戦中のものである保証はどこにもないわけだし。

リンク先のサイトの戦勝パレードの再現写真だって、明らかに横にある写真とつなぎの形状が違って、
むしろ一般的な形状で、はからずも、これがミニアートのキットの形状と同じのようだし。

そういえば、ミニアートのキット「35017:SOVIET TANK CREW AT WORK」
では、つなぎの塗装指定は「カーキ」なんですね。
76 返信 カーキもありか!?(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:04
投稿者:赤いお母さん 投稿日: 9月22日(金)19時01分22秒

>本やサイトでの再現写真のつなぎが大戦中のものである保証はどこにもないわけだし。

それは大前提ですね・・・ってか、本物だったら、着るな!ですが。
・・・でも結構着てるな・・・。

>「35017:SOVIET TANK CREW AT WORK」では、つなぎの塗装指定は「カーキ」なんですね。

そういやそうでしたね・・・箱絵自体も。
アジア顔と坊主頭がいる!という部分に目を奪われて、
着ている服なんて気にしていませんでした・・・どうせ改造するし。
あるいは・・・それはまさに空挺つなぎ服であった・・・のかも知れません。心の目的に。
77 返信 黒つなぎ(転載) 赤いお母さん@管理人 2006/09/28 06:05
投稿者:ヴェノーフ 投稿日: 9月27日(水)18時56分19秒

黒戦車帽と黒つなぎは1949年上映の映画『ベルリン陥落』に登場してるんですね。
これは戦争から4年も経っていない時期に撮られた映画で、
ベルリン陥落に喜ぶ兵士のシーンで黒戦車帽と黒つなぎが登場するのですが、
戦争の記憶が鮮明な時期に撮られたことを考えると、
やはり大戦末期にすでに出現していたということなのでしょうね。

ただ、なんとスターリンが飛行機でベルリンに現れる!・・・というビックリするようなウソの
シーンでチュイコフ、コーネフ、ロコソフスキーが功績を称賛されるのですが、
その場にジューコフは出てこない!・・・など当時の事情がよくわかる映画でもあるんですね。

78 返信 「パンツァーグラフ!」の軍装品記事 ヴェノーフ 2006/10/26 19:48
平沢氏の記事「ロシア戦車兵 軍装品の変遷」に関する議論を始めます。
ただし、掲載品の真贋については議論の対象とせず、
あくまで模型製作に必要な外観(色彩)と材質を考慮した議論にしたいと思います。

また「1918〜1920年代」と題された部分に関しては議論の対象外とします。
というのは、内戦期の軍装品は「何でもあり」だからです。
さまざまな書籍に掲載された写真や絵を参考にするのが最適と思われます。

ということで、まずは1つ目。

記事では1922年から1924年までの軍装がポッカリと抜けた後に
「1930年代」と題された部分がくるのですが、
そこに掲載された「1924年型ルバハ・フレンチ服」についてですが、
掲載されたものには金色のボタンが付いていますが、一般的には黒色ですので、
フィギュア製作の際にはボタンは黒色とするのが無難です。
79 返信 Re:「パンツァーグラフ!」の軍装品記事 ヴェノーフ 2006/10/26 21:36
次に2つ目。

「1935〜1942年」と題された部分の「1935年型戦車科少尉襟章」と
「1935年型戦車科少尉コート用襟章」については2つの点で問題点があります。
第1に、たしかに掲載された襟章のタイプは1935年12月に制定された型ですが、
ただ、正方形が1つの「少尉」の階級章が、1935年時点では存在せず、
1937年8月の制定である点で、誤解を生みかねない表現であることです。
第2は襟に付けられた戦車兵の兵科章は、1936年4月に制定されたベーテー戦車型ですが、
襟章に付けられたベーテー戦車型兵科章は金色であるべきで、
掲載された銀色のものは1943年以降の将校用肩章用になります。
したがって、フィギュア製作の際にはベーテー戦車型兵科章は金色とするのが無難です。
80 返信 Re:「パンツァーグラフ!」の軍装品記事 ヴェノーフ 2006/10/26 21:43
> 1936年4月に制定されたベーテー戦車型ですが、

1936年3月に制定されたベーテー戦車型ですが、

制定月が間違っていました。訂正します。
81 返信 「パンツァーグラフ!」の軍装品記事〜戦後編 赤いお母さん@管理人 2006/10/27 10:59
「大戦後期から戦後冷戦時代 1943〜1945〜1968年」

上記の様なカテゴライズに成っています。
確かに1943年型軍装は、1969年の大変革に至まで、殆どその姿を変えないのは確かでしょう。
細かい規定までは1/35スケールぐらいだと、あまり関係がないのかも知れません。

ただ1955年に肩章の規定が、若干変わっています。
大雑把にいうと、肩章の縁取りが無くなり、兵科色か保護色の単色になります。
徽章の打ち付け位置も変わります。
結構目立つ部分なので、塗り分けに注意する必要があるでしょう。
「作品展示」の「1966年南部国境警備管区にて監視活動に当たる国境警備兵」に
若干の解説を載せていますので、参照してください。
ttp://members3.jcom.home.ne.jp/redsoldiers/exhibition/soviet/pv1966/pv1966.htm

問題は、戦車帽を初めとする特殊被服に関してで、多くの変更や新型の導入があったはずです。
ここでは一種類の戦車帽が掲載されていますが、この間に少なくとも、更に2種類の戦車帽が導入されているハズです。

この時期に付いては私は良く知りませんし、特に戦後の50〜60年代は、資料も少なく、現物に接する機会も少ないので、
非常に、まことに非常に期待していた部分なのですが・・・残念です。
82 返信 「パンツァーグラフ!」の軍装品記事〜現用編 赤いお母さん@管理人 2006/10/27 11:57
「ベトナム戦争期からアフガン戦争そして、ソ連崩壊〜現代 1969年〜」

ベトナム戦争期かぁ・・・あまりそういう発想は無かったんですが、まぁ良いや。


まずは「2ペース式夏用戦車服」について。

1.導入時期について
平沢氏は記事では、69年の服装改訂と共に導入された様に読みとれますが、
正確には1972年に導入された特殊被服です。

2.色について
記事では、カーキと黒色の物が、同時に存在した様にも読みとれますが、
1972年に夏季・冬季戦車服が導入された時点では、黒色の物が制定されています。
これが後年、保護色へと切り替わります。
切り替わる時期に関しては、国際共産趣味ネットの(今は亡き)掲示板で、ヴェノーフ同志が1998年10月3日の書き込みで、1982年と言及されています。
(ttp://www5.big.or.jp/~jinmink/BBS/kakolog/02log/02981025.html)

3.肩章の形状
平沢氏の記事通り、肩章は兵科色に準じた縫付式常勤肩章が付けられていましたが、
アフガン戦争の頃にエポレット式(記事ではストラップ型と表記)に切り替わります。
この時期ですが、エポレット式が規定に現れるのは1985年です。
しかしながら、それ以前にエポレット式のアフガーンカなどが姿を現しており、現状追認型の規定制定と思われます。
逆に空挺用アフガーンカの中には、それ以降も縫付式肩章が作られていたりします。
保護色の戦車服にはエポレット式肩章というイメージが在りますが、
保護色に切り替わったのは1982年、エポレット式肩章が規定されたのが1985年。
その間の肩章の形式は、実際、どうなっていたんでしょう・・・新たな疑問が湧きました。


フィギュア制作の際は、
このタイプの戦車服は1972年以降。
前期型なら黒で縫付式肩章、後期型なら保護色でエポレット式肩章。
切り替わる時期は1980年代中頃とすれば無難でしょうね。
古い物も残っていれば使うので、それ以降でもアウト!とは言えないでしょうが。
注意すべきは、胸の菱形兵科章ワッペンの土台の色は、服の生地に準じるという事でしょうか。
83 返信 Re:「パンツァーグラフ!」の軍装品記事〜現用編 赤いお母さん@管理人 2006/10/27 12:02
誤・1)「2ペース式夏用戦車服」について。
正・1)「2ピース式夏季戦車服」について。

誤・2)平沢氏は記事では、
正・2)平沢氏の記事では、
69年の服装改訂と共に導入された様に読みとれますが、

84 返信 グレー・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/02/14 18:39
ソ連の軍装を模型で再現する場合、非常に難しいのが「グレー」の色合いの再現だと思います。
「保護色」すなわち「カーキ」系の色の場合も同様に再現が難しいのですが・・・。

帝政時代から「グレー」は主として冬季の保護色として軍装に利用されてきましたが、
赤軍は1922年に全ての軍服の色をグレ−系と規定しました。
すなわち、夏の軍服は「明るいグレー」、冬の軍服は「暗いグレー」、
冬の外套は「グレー」と「暗いグレー」の組合せ、といったようにです。
しかし、早くも1924年にメインの軍服は「カーキ」系の色(このときは緑が強い)になりますが、
外套関係には「グレー」系の色調が残ります。
1935年に新たに「グレー」系色調に「鋼鉄色」が登場し、
この色調は礼装用としてその後も引き継がれていきます。
また、1954年には元帥用に「明るいグレー」のダブルのジャケットが制定され、
これは後に将官の略礼装として一般化されます。

結局、「グレー」系の色としては、「明るいグレー」、「グレー」、「暗いグレ−」、「鋼鉄色」が
規定の文面に登場する訳ですが、問題は、この4つの色が、名称が同じであっても、
時期によって色調がかなり違うということなのです。
たとえば、1922年当時の「明るいグレー」と1980年代の「明るいグレー」は全く別物と言ってもよく、
また1935年当時の「鋼鉄色」と1955年当時の「鋼鉄色」もかなり色調に違いがあるようです。

これまでに出版された書物は、こういったことをあまり考慮していないカラーイラストを載せていますので、
模型にも、軍装品のフェイクやレプリカにも大きな混乱を与えているようです。
85 返信 保護色・・・色調の境界線 赤いお母さん 2007/02/21 23:48
> 「保護色」すなわち「カーキ」系の色の場合も同様に再現が難しいのですが・・・。

久しぶりに資料を苦労しながら読んでいますが、「保護色」の定義の曖昧さに今更ながら驚いています。
例えば、徴集兵の制帽に、制服、果てにはネクタイからワイシャツまで、
全て「保護色」と規定されているのには驚愕です。

90年代初頭にベルリンからアフガーンカが日本に流れてきた時に、
カーキ色系の中に混じっていたオリーブ色系の物を指して、
「都市戦闘用か!?」と言われた位の色彩の差がありましたが、
規定上では全て「保護色」な訳で・・・。
もっとも同様の例は、枚挙にいとまがありません。

さすがに、染料の配分など、何らかの基準が設定されているとは思うのですが・・・。
86 返信 Re:保護色・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/02/25 16:26
ロシアが「保護色」を正式に採用した20世紀初頭における定義では
この色調は「灰色・茶色がかった緑色」ですから、範囲は広いですね。

しかし、時期毎に何らかの基準が示されているような史料は必ずあるはずです。

とりあえず、戦争などによる混乱期を除いて、実物資料に基づき、
未使用状態から褪色した状態の色調の変化を把握できるとよいのですが。
87 返信 Re:保護色・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/02/26 03:30
> この色調は「灰色・茶色がかった緑色」ですから

もっとも、1907年7月29日付の命令では「保護色」は「緑がかったグレー」と表現されていますが。
そうなると、やはり「グレー...色調の境界線」なんですね。
88 返信 Re:グレー・・・色調の境界線 ヴェノーフ 2007/03/02 18:26
原則的に兵用外套の色は単なる「グレー」と表現されています。
この「グレー」の範囲が微妙に広いので、模型の再現を難しくしています。
すなわち、色の濃淡ばかりでなく、茶色っぽいものから、妙に白っぽいものまで範囲が広いからです。
因みに帝政時代は「沼色」とされていました。

89 返信 ソ連(地上軍)将官常務制服 さよっぺ 2007/03/05 09:01
初めまして
さよっぺと申します

69年型陸軍中将制服を所有しているのですが
徽章を集めるのに苦労しています

代議員章はどこで入手できますでしょうか
御願いします
90 返信 Re:ソ連(地上軍)将官常務制服 ヴェノーフ 2007/03/05 14:09
> 代議員章はどこで入手できますでしょうか

国内では各種イベントに出店しているブースか、
ネット販売のサイトにお問い合わせください。

Supreme、 Soviet、memberやbadgeなどといったキーワードで
グーグルで検索すれば、
欧米のサイトに引っ掛かると思います。
またebayで探すのも一つの方法です。

91 返信 『私はT-34で戦った』 赤いお母さん 2007/03/05 17:12
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/tankist.html

某サイトで紹介されていたので知ったのですが、なかなか興味深い内容でした。
ロシア語の出来ない人間としては、好事家が訳してくれる幸運を逃す手はありません。

個人的にはアレクサンドル・ブルツェフの証言の中に出てくる、
戦車学校時代、支給された古いキルザの長靴に塗るクリームが無かったので、
砂糖を煮詰めて塗りつけ、クローム革の様に磨き上げる・・・
というエピソードが興味深かったですね。
まさに鼈甲(飴)仕上げ。
クリームを塗りつけて、なめし革の様にする事は戦後も行われたので、
キルザの長靴を、艶有り仕上げで塗るのも、再現的には有りなんですよね・・・。

92 返信 ミハイール・ウリヤーノフ ヴェノーフ 2007/03/28 12:53
26日に80歳で死去。
私にとって、ジューコフ元帥といえば、そのイメージは常にこの俳優でした。
とはいえ、『カラマーゾフの兄弟』、『テーマ、田舎の出合い』など戦争映画以外での強烈な演技も印象深いです。
DVDボックスが出ないかなあ。
95 返信 ノンナ・モルジュコーワ 赤いお母さん 2007/07/19 17:12
ロシアの肝っ玉母さんといえば、この人というイメージ。
モルジュコーワの『コミッサール』が、先月DVDで出版されておりました。
ttp://www.saturn.dti.ne.jp/~rus-eiga/
ttp://ruscicodvd.fc2web.com/rccf/1038/l.htm

原作者のヴァシーリ・グロースマンの記事や取材メモをまとめた
『赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941-45 』
が出版された事もあり、絶妙なタイミングです。
ttp://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02624

シュニトケの映画音楽の録音は数種持っていたのですが、
映画自体は写真でしか見た事が無く、DVDで購入できる様になるとは有り難い事です。

デジタル復元版との事で、画像は大変クリアなのですが、クリアにしすぎて、妙なちらつきが在り、目が疲れます。
当時のフィルムの解像度というか、微妙なボケ味も大切だと実感しました。
劇場の映写機で投影される画像自体、テレビ以下の解像度ですし。


昨夜、頭だけチラ見しようと見始めたら、ついつい一気に鑑賞してしまいました。
映像の力という物を、久々に体感しました。
99 返信 グロースマン ヴェノーフ 2007/08/04 03:02
>『赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941-45 』

読みました。地名・人名がウダレーニエを考慮して表記していることに好感を覚えました。翻訳のあるべき姿だと思います。

>モルジュコーワの『コミッサール』

グラスノスチの結果、日本で公開したときに映画館で見ました。
そうか、こんな映画もDVDで発売されるんだ。
ミハイール・ウリヤーノフのマイナー映画も・・・発売して欲しい。
100 返信 Re:グロースマン 赤いお母さん 2007/08/04 12:52
> >『赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941-45 』
>

私は余り戦記物を読まない人間なのですが、
前線の兵士自身ではなく、しかも比較的後方にいる人間の視点で描かれているので、
赤軍の雰囲気という物が、なんとなく理解出来た気がします。
・・・しかしスヴェン・ヘディンの『馬仲英の逃亡』でも感じましたが、
占領者がころころ変わる戦争は辛いなぁ・・・。


> >モルジュコーワの『コミッサール』
>
> グラスノスチの結果、日本で公開したときに映画館で見ました。
> そうか、こんな映画もDVDで発売されるんだ。
> ミハイール・ウリヤーノフのマイナー映画も・・・発売して欲しい。

『火を噴く惑星』じゃダメですかね?
百人劇場で観ましたけど、ソ連版『スタートレック』な感じで好きなんですけど。
101 返信 それなら ヴェノーフ 2007/08/05 00:52
>『火を噴く惑星』

『ピルクスの審問』がいいなあ。
ミハイール・ウリヤーノフは関係ないけど。
103 返信 チーホン・フリェーンニコフ ヴェノーフ 2007/08/16 17:07
死んじゃいましたね。94歳。
114 返信 新世界レコード 赤いお母さん 2007/10/05 06:08
ここで取り上げるのも何かも知れませんが、7月の時点で閉店した様です。
・・・どうりでアレクサンドル・ローゼンバウムのCD入荷の連絡が来ないハズだ・・・。

ソ連崩壊後、メロディア以外の様々なレーベルから、ソ連時代の録音がバンバカ廉価で発売されるのは有り難い事なんだが、
今まで独占的に取り次いでいた業者には辛い状況に成ってしまっては居りましたので。
英・オリンピア社も倒産(?)した事もあるし、(店舗を縮小したとはいえ)今まで良くもっていたな・・・という思いもあります。

そういえばオリンピア社倒産故に、途中でストップしていたスヴェトラーノフ&国立響のミャスコフスキー全集の再発盤ですが、
あのパッケージで(ここ重要)、別のレーベルから再開される様ですね。
・・・まぁ、私は既にロシアンディスク盤を持っているので関係ないのですが。

93 返信 >国境警備隊の旅団コミッサール ヴェノーフ 2007/07/02 13:47
>1940年には政治委員の襟章に歩兵などの兵科徽章が付加・・・

よく考えてみると、
国境警備軍の大隊コミッサールやポリトルークなどは
兵科徽章が付加されるのですが、
旅団コミッサ−ル以上の菱形章が付く政治委員の場合、
国境警備軍では、赤軍の将官と同じく、少なくとも
「各兵科共通の(общевойсовой)」
場合は、兵科徽章は付かないと考えられます。

編成上、「各兵科共通」以外の旅団以上の部隊が
国境警備軍にあれば、他の兵科徽章が付くことが
あると思いますが・・・。

ということで、

「いずれにせよ、作例の旅団コミッサールの場合は兵科徽章は
付かない可能性が高い」という旨のことを文章に追加した方が
よさそうです。

94 返信 Re:>国境警備隊の旅団コミッサール(訂正) ヴェノーフ 2007/07/02 13:49

> 「各兵科共通の(общевойсовой)」

「各兵科共通の(общевойсковой)」

「к」が一文字、抜けていました。訂正します。

96 返信 空軍の本 ヴェノーフ 2007/08/03 17:30
発刊から約1カ月半。
ついに空軍の軍装本の3冊目(第2巻の第1部:
1935〜1955)が届きました。

これで2004年と2005年の既刊本と合わせて、
ほぼソ連の軍装全体を見渡すことができるようになり、
とりあえず、多くの疑問が解消されたように思います。

基本的にソ連の軍装の収集を止めてしまった私にとっては、
本当にありがたい研究書です。
これから収集を続ける人にとっては、
収集の厳しい現実を知る好著となると思います。お薦めです。


102 返信 Re:空軍の本 ヴェノーフ 2007/08/06 15:24
本の紹介をしていながら、本のタイトルすら書いていませんでし
た。

Кибовский А.В.
Степанов А.Б.
Цыпленков К.В.,
”Униформа российского военного
воздушного флота.
В 2−х т.Том 2.Часть 1(1935−1955).”

ロシアでの価格は凡そ1300ルーブル(日本円で約6500円)です。
この第2巻第1部は456ページと3冊中、最もボリュームが大きくなっています。
重さも2キロ以上ありますので、送料は船便でも1500円以上、航空便なら3000円以上となると思います。
送金手数料などを考えると最低10000円の出費は覚悟しなければなりませんが、内容から判断すると、たいへん安い買い物だと思います。
104 返信 Re:空軍の本 赤いお母さん 2007/08/16 22:41
クルムバッハのイベントで、ロシア・ソ連軍の書籍を扱っていた業者が販売しておりました。

値段は三冊で320ユーロ。
内訳は、「第1巻」「第2巻第2部」が100ユーロ。「第2巻第1部」が120ユーロ。
日本で代行業者に依頼出来るとしたら、送料と送金手数料の実費に加え、手数料として30%というのが相場でしょうか。

書籍や雑誌にしろ、模型や軍装品にしろ、懸かる費用と手間を考えたら、国内での価格というのは、往々にして安いんだな・・・と実感しています。
105 返信 Re:空軍の本 ヴェノーフ 2007/08/17 21:14
>「第2巻第1部」が120ユーロ。

真っ当な値段でしょうね。
欧米ではだいたい100ドルか100ユーロ前後だと思います。

発行部数が1500部。
先の2冊は未だに残部があるようですが、
人気の時期を扱った「第2巻第1部」は早い時期に完売してしまうかもしれませんね。

92 返信 ミハイール・ウリヤーノフ ヴェノーフ 2007/03/28 12:53
26日に80歳で死去。
私にとって、ジューコフ元帥といえば、そのイメージは常にこの俳優でした。
とはいえ、『カラマーゾフの兄弟』、『テーマ、田舎の出合い』など戦争映画以外での強烈な演技も印象深いです。
DVDボックスが出ないかなあ。
95 返信 ノンナ・モルジュコーワ 赤いお母さん 2007/07/19 17:12
ロシアの肝っ玉母さんといえば、この人というイメージ。
モルジュコーワの『コミッサール』が、先月DVDで出版されておりました。
ttp://www.saturn.dti.ne.jp/~rus-eiga/
ttp://ruscicodvd.fc2web.com/rccf/1038/l.htm

原作者のヴァシーリ・グロースマンの記事や取材メモをまとめた
『赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941-45 』
が出版された事もあり、絶妙なタイミングです。
ttp://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=02624

シュニトケの映画音楽の録音は数種持っていたのですが、
映画自体は写真でしか見た事が無く、DVDで購入できる様になるとは有り難い事です。

デジタル復元版との事で、画像は大変クリアなのですが、クリアにしすぎて、妙なちらつきが在り、目が疲れます。
当時のフィルムの解像度というか、微妙なボケ味も大切だと実感しました。
劇場の映写機で投影される画像自体、テレビ以下の解像度ですし。


昨夜、頭だけチラ見しようと見始めたら、ついつい一気に鑑賞してしまいました。
映像の力という物を、久々に体感しました。
99 返信 グロースマン ヴェノーフ 2007/08/04 03:02
>『赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941-45 』

読みました。地名・人名がウダレーニエを考慮して表記していることに好感を覚えました。翻訳のあるべき姿だと思います。

>モルジュコーワの『コミッサール』

グラスノスチの結果、日本で公開したときに映画館で見ました。
そうか、こんな映画もDVDで発売されるんだ。
ミハイール・ウリヤーノフのマイナー映画も・・・発売して欲しい。
100 返信 Re:グロースマン 赤いお母さん 2007/08/04 12:52
> >『赤軍記者グロースマン―独ソ戦取材ノート1941-45 』
>

私は余り戦記物を読まない人間なのですが、
前線の兵士自身ではなく、しかも比較的後方にいる人間の視点で描かれているので、
赤軍の雰囲気という物が、なんとなく理解出来た気がします。
・・・しかしスヴェン・ヘディンの『馬仲英の逃亡』でも感じましたが、
占領者がころころ変わる戦争は辛いなぁ・・・。


> >モルジュコーワの『コミッサール』
>
> グラスノスチの結果、日本で公開したときに映画館で見ました。
> そうか、こんな映画もDVDで発売されるんだ。
> ミハイール・ウリヤーノフのマイナー映画も・・・発売して欲しい。

『火を噴く惑星』じゃダメですかね?
百人劇場で観ましたけど、ソ連版『スタートレック』な感じで好きなんですけど。
101 返信 それなら ヴェノーフ 2007/08/05 00:52
>『火を噴く惑星』

『ピルクスの審問』がいいなあ。
ミハイール・ウリヤーノフは関係ないけど。
103 返信 チーホン・フリェーンニコフ ヴェノーフ 2007/08/16 17:07
死んじゃいましたね。94歳。
114 返信 新世界レコード 赤いお母さん 2007/10/05 06:08
ここで取り上げるのも何かも知れませんが、7月の時点で閉店した様です。
・・・どうりでアレクサンドル・ローゼンバウムのCD入荷の連絡が来ないハズだ・・・。

ソ連崩壊後、メロディア以外の様々なレーベルから、ソ連時代の録音がバンバカ廉価で発売されるのは有り難い事なんだが、
今まで独占的に取り次いでいた業者には辛い状況に成ってしまっては居りましたので。
英・オリンピア社も倒産(?)した事もあるし、(店舗を縮小したとはいえ)今まで良くもっていたな・・・という思いもあります。

そういえばオリンピア社倒産故に、途中でストップしていたスヴェトラーノフ&国立響のミャスコフスキー全集の再発盤ですが、
あのパッケージで(ここ重要)、別のレーベルから再開される様ですね。
・・・まぁ、私は既にロシアンディスク盤を持っているので関係ないのですが。

106 返信 KGBについて ブリキ缶 2007/09/07 13:29
はじめまして
ブリキ缶といいます

私は旧ソ連のNKVDやKGBといった機関に興味を持っており、いろいろと調べていますが、KGBもNKVDやスメルシのように軍服を着て、戦場での軍の督戦や防諜、スパイの摘発などをしていたのでしょうか?
109 返信 Re:KGBについて 赤いお母さん 2007/09/07 14:54
ようこそ、別院フォーラムへ。

「KGB職員は軍服を着て、戦場での軍の督戦や防諜、スパイの摘発などをしていたか?」
という問題ですが、まずブリキ缶さん自信は、どの様にお考えでしょうか?

調べられた資料からの抜粋、それに伴う推測でかまいません。
それを叩き台にして論議を進めたいと思います。
110 返信 Re:KGBについて ブリキ缶 2007/09/07 18:00
> ようこそ、別院フォーラムへ。
>
> 「KGB職員は軍服を着て、戦場での軍の督戦や防諜、スパイの摘発などをしていたか?」
> という問題ですが、まずブリキ缶さん自信は、どの様にお考えでしょうか?
>
> 調べられた資料からの抜粋、それに伴う推測でかまいません。
> それを叩き台にして論議を進めたいと思います。


返信ありがとうございます
あくまでも私の推測ですが、KGBの主な業務の中に軍の監視や軍事防諜などがある以上、KGBの前身であるNKVDのように戦場での督戦や防諜、スパイの摘発をしていてもおかしくはないと考えました

よって、KGBの第三総局(軍事防諜部門)などの職員が中心となって、青い肩章に青い襟章のついたKGBの軍服を着てそういった業務に従事していたのだと私は思います
112 返信 Re:KGBについて 赤いお母さん 2007/09/08 12:04
私はKGBについても、KGBの服装規定についても、良く分知らないという事を御理解下さい。
それと様々な情報がソ連崩壊前後に飛び出して来ましたが、果たして確証足り得る情報であるかは疑わしいと思います。
大祖国戦争時の情報などは、それなりに出版も在るようですが、冷戦時代の情報となると・・・。
過去の話とは言い切れない情報ですからね。

まず大前提として、平時であろうと有事であろうと、目に見える者と目に見えない者とがあると思います。
それと分かる格好が必要な任務に就いている者のみが、シンボリックな服装をしているのでしょう。
例えば各部隊に監督の為に派遣されたKGB特別部の人間の様に。
或いはクレムリン警護隊の様に。

「KGB職員は軍服を着て、戦場での軍の督戦や防諜、スパイの摘発などをしていたか?」
という問題になれば、着ていた職員もいれば、着てはいない職員もいたでしょうし、
軍服自体も、KGBの制服を着ていた職員もいれば、着てはいない職員もいたでしょう。
任務次第ではないでしょうか。

軍への督戦ですが、部隊単位によるものはKGBではなく、内務省の国内軍の任務であったとする意見が多いようです。
また有事に国内や前線の背後で、反乱分子を鎮圧したり、敵残存部隊の掃討も、国内軍の任務の様です。
113 返信 Re:KGBについて ブリキ缶 2007/09/08 16:28
丁寧な解答ありがとうございます。

たしかにロシアにしてみればソ連が崩壊したとはいえ冷戦中の情報機関のことについてそんなに大規模に公開はできないですよね・・・・・・

とはいえ、KGBについてほとんど知らなかった私にとっては赤いお母さん様の親切で丁寧な解答はとても良い知識となりました。

115 返信 VDVプロモ 赤いお母さん 2007/10/17 18:02
社会主義の様式美から解き放たれると、こんなん成っちゃうんですね。
でもその実、何も変わっていない様な気もしますが。
リエナクターもデサントニクをやるなら、これくらいマッチョでやって欲しいものです。

ttp://jp.youtube.com/watch?v=oOaGgY2yUHw
122 返信 カザフスタン軍のプロモ 赤いお母さん 2008/04/27 12:08
ロシア的というか、ソ連的な物を色濃く残している感じがします。
良いですね。
プロモの中では、兵士も唄もカザフ語ですが、
カザフスタンの軍隊内の使用言語が本当にカザフ語なのかは疑問です。

ttp://jp.youtube.com/watch?v=1wn7pKt_i1I

116 返信 T-60搭乗員作例と1935年型襟章と1940年型襟章について 赤いお母さん@管理人 2008/02/25 14:51
>更新報告 投稿者:ヴェノーフ 投稿日:2008年 2月22日(金)23時49分0秒


製作、解説、ご苦労さまです。

解説について少しだけ。

まず襟章は「1941年型」ではなく「1940年型」ではないでしょうか。

また「1935年型の戦時の保護色の襟章うんぬん」についての記述は正しいでしょうか。
保護色の襟章は1939年頃から検討が始まり、1941年8月に正式に出現したようです。

そして1940年型のスタルシナーの線は「金色」と表現した方がよいのではないでしょうか。

最後に「欲求」は「要求」とした方がよいのではないでしょうか。

もう一度、参考にした書籍を確認してみてください。

117 返信 Re:T-60搭乗員作例と1935年型襟章と1940年型襟章について 赤いお母さん 2008/02/25 15:08
> まず襟章は「1941年型」ではなく「1940年型」ではないでしょうか。

ケアレスミスでした。

>
> また「1935年型の戦時の保護色の襟章うんぬん」についての記述は正しいでしょうか。
> 保護色の襟章は1939年頃から検討が始まり、1941年8月に正式に出現したようです。

それは知りませんでした。
'35年型襟章を保護色にした様な物を着用している写真などの記憶がありましたので、
保護色の野外用の襟章も、規定上存在するのかと勘違いしておりました。
と言う事は、'40年型襟章も制定時においては、色付き襟章しか存在していないという事になりますね。
そもそも、あの本には保護色の襟章についての記載は無いですね。
この辺りも修正と追加記載しておきます。

> そして1940年型のスタルシナーの線は「金色」と表現した方がよいのではないでしょうか。

参考書籍の中には、色についての記載は無かった様で、図版通り「黄色」としました。
金糸のリボンが付くとの事で、これも修正しておきます。
118 返信 Re:T-60搭乗員作例:上衣とガスマスク収納袋 ヴェノーフ 2008/02/28 19:24
解説の改訂・追記のついでにもう少し。

>1935年型兵下士官用夏季服

「1943年に立襟タイプの俗にルバーシカ(рубашка)、ルバーハ(рубаха)などと呼ばれる軍服に切り替わるまで、大祖国戦争中の赤軍兵士の軍服とされたのは1935年に制定された、この服である」という部分は、

1943年に立襟タイプに切り替わるまで、大祖国戦争中の赤軍兵士の軍服とされたのは1935年に制定されたこの服を基本とする。

とあっさりとした方がよいでしょう。とくに「ルバーハ(рубаха)」は上衣の総称であり、1935年型ギムナスチョールカをルバーハと表現している公文書もあるようですから。

>ガスマスクポーチ

私も詳細はわからないのですが、おそらく「1932年規定の野外装備見本の写真」では、蓋が両端のスナップ留めになっていると思います。眉間に曇り除去用の角が付いた「БНガスマスク」用の収納袋はイギリス軍とよく似たスナップ留めのものが基本のようです。
一方、1941年の国防人民委員令第58号の付図ではすでに作例と同様のバックル留めになっています。作例は1942年の設定なので、問題はないと思いますが。
119 返信 Re:T-60搭乗員作例:上衣とガスマスク収納袋 赤いお母さん 2008/03/02 12:55
指摘ありがとう御座います。
いくつか補足と質問をば。

> 1943年に立襟タイプに切り替わるまで、大祖国戦争中の赤軍兵士の軍服とされたのは1935年に制定されたこの服を基本とする。
>
> とあっさりとした方がよいでしょう。

行間に込められた意味をお訊きしたいのですが、
1935年に制定された服を基本とするとしたのは、途中形状の変更が行われたという事でしょうか?
或いは公文書上での名称変更の様な事が行われたのでしょうか?


>とくに「ルバーハ(рубаха)」は上衣の総称であり、1935年型ギムナスチョールカをルバーハと表現している公文書もあるようですから。

本来で在れば、1943年型ギムナスチョールカ(гимнастёрка)と表記すれば済む事ですが、
「俗にルバーシカ(рубашка)、ルバーハ(рубаха)などと呼ばれる軍服」としたのは、
このサイトの閲覧者が、ソ連軍装史に明るくない人もいる事を考慮して、どの形式の服を指しているのか分かり易くする為に表記しました。
ルバーハ(рубаха)を加えたのは、日本語の書籍、雑誌、ネット上に、この単語を使用した例が散見されたからです。

より分かり易くする為には、
1935年以降、公文書上では折襟型(1935年型)であろうとも、立襟型(1943年型)であろうとも、
ギムナスチョールカ(гимнастёрка)という呼称が用いられている事を併記すれば良かったかも知れませんね。
120 返信 Re:T-60搭乗員作例:上衣とガスマスク収納袋 ヴェノーフ 2008/03/05 17:52
質問に対して。

> 行間に込められた意味をお訊きしたいのですが、
> 1935年に制定された服を基本とするとしたのは、途中形状の変更が行われたという事でしょうか?
> 或いは公文書上での名称変更の様な事が行われたのでしょうか?

襟章の変化によって40年型、41年型などという表現が用いられる可能性があるからです。また、1942年ころからはさまざまな戦時簡易型もあります。

> より分かり易くする為には、
> 1935年以降、公文書上では折襟型(1935年型)であろうとも、立襟型(1943年型)であろうとも、
> ギムナスチョールカ(гимнастёрка)という呼称が用いられている事を併記すれば良かったかも知れませんね。

そうですね。ただ、公文書で1935年型をルバーハと表記しているものもあるので、このあたりの解説は難しいのです。したがって、ギムナスチョールカやルバーハなどのロシア語に基づく服飾用語よりも1935年や1943年といった制定年による区分の方が重要だと考えています。

121 返信 “白夜映画祭II〜ロシア、グルジア、そしてパリ〜” 赤いお母さん 2008/04/26 12:04
世田谷は下高井戸シネマにて

“白夜映画祭II〜ロシア、グルジア、そしてパリ〜”
6/9(月)〜7/12(土)レイトショー(日曜休映)
ttp://www.ne.jp/asahi/kmr/ski/shimotakaido_cinema.html#

をやる様です。
百人劇場の閉館前にやったソ連映画特集の際に、
疲労から(やっぱり一日3本観るのははキツイわ)うたた寝をしてしまった「道中の点検」(7/3〜5)にリベンジがしたいな・・・と。
「戦争の無い20日間」(6/30〜7/2)も面白そうです。

124 返信 Блестящиеのクリップ。 赤いお母さん 2008/05/29 18:57
ロシアの老舗アイドルグループБлестящие(ブレスチャーシエ)のクリップ。

ttp://www.youtube.com/watch?v=vLvtEiABmrw

ロシア版スパイスガールズというコンセプトで作られたらしいグループ。
今ひとつ冴えないアイドルグループだと思っていたが、90年代からメンバーチェンジを繰り返しながら活躍していた老舗らしい。
「ナイトウォッチ」にも出演していたジャンナ・フリスケが、元メインメンバーなのね。

それはそうと、こういうクリップを観ると、ロシア社会の中の軍隊という存在を考えさせます。
マニア的には空挺降下訓練の様子と、BMDのアップが観られるので楽しいのですが。

個人的にはКсющаの隙歯が馬鹿っぽくてお気に入りでして、
フィメールフィギュアを作る際には再現したいポイントですね。
125 返信 軍隊とポップスinウクライナ 赤いお母さん 2008/06/02 12:45
調べると芋蔓式に出てくる出てくる。
軍隊プロモーション番組か何かなんだろうか?


Натал?я Валевська(ナターリヤ・ヴァレフスィカ)
ttp://www.youtube.com/watch?v=YPw17-c-uhI&feature=related

TNMK
ttp://www.youtube.com/watch?v=qxr48YrhNek&NR=1

Т?на Кароль(ティナ・カローリ)
ttp://www.youtube.com/watch?v=Vt3KCqLt0ak&NR=1

Виталий Козловский(ヴィターリ・コズロフスキー)
ttp://www.youtube.com/watch?v=zdMfgdVnZyw&feature=related


127 返信 ソ連軍軍帽の星について カラマーゾフのお姉さん 2009/01/31 09:10
はじめまして。赤いお母さんに誘われて初めて書き込みさせていただきます。私は赤いお母さんとフィギュアの関係でお付合いさせていただいているフィギュアモデラーです。ここではカラマーゾフのお姉さんと名乗らせていただきます。
 実は私は第2次大戦の赤軍の軍装に関してまったく無知な者でして、博識な方々のお知恵を拝借したいと思った次第です。
 今ミニアートというウクライナの模型メーカーのフィギュアプラスチックモデルを作成しているのですが、ミニアートのパッケージのイラストの軍帽についている星が赤ではなくカーキ色で表現しているのを良く見かけます。これは赤いお母さんから「保護色」と呼ばれるものだと教えていただきました。
 この保護色の星の帽子を身につけるのは戦場においてなのか、それとも年代によって制定が切り替わったのか、それともはたまた個人の自由(赤い星と保護色を身につけた兵士が混在する状況もある)のか知りたいのです。今回フィギュアの塗ってて悩んでいるところです。また後学の為にも興味があります。よろしくお願いします。
128 返信 Re:ソ連軍軍帽の星について ヴェノーフ 2009/02/01 14:05
こんにちは。赤いお母さん同志によりメールその他での依頼がありましたので、簡単ではありますが、私が説明してみたいと思います。
赤いお母さん同志の話では、「カラマーゾフのお姉さん」さんはミニアートの"SOVIET JEEP CREW"をある程度のディティールアップのみで基本的に素材そのままで製作なさるとのことでした。まず、帽章について説明し、さらに当該キットに即した解説をしていきます。

1:保護色の帽章について

戦時に向けた徽章類の保護色化の動きは1939年頃から検討が始まり、1941年1月には平時と戦時の軍装区分が制定され、複雑になっていた軍装が整理されます。その時点で、例えば、将校のピロートゥカ(舟型軍帽)から兵科色の玉縁が廃止されるなどの動きが見られますが、キットのイラストに見られる保護色のフラーシュカ(眼庇付軍帽)が、現実はどうあれ、紙の上では出現します。その時点では保護色の星章は制定されていません。
またボタンも、将校は金、兵は黒でしたが、1941年8月(仕様上は7月)に戦時用として保護色のものが制定されます。
保護色の星章を史料的に確認できるのは1942年4月のシャープカ=ウシャーンカ(防寒帽)の保護色星章化になりますが、現実には、1941年8月頃には出現し、前線部隊を中心に、部隊に保護色の星章があれば、それが付けられていたと思われます。一方、後方では、フラーシュカも襟章などの階級章も兵科色に基づいた様々な色彩のものが用いられていたので、当然、星章は「真鍮色」の金属(鉄を含む合金で腐食すると赤錆が発生する)で赤色の高温エナメル(七宝)を施された従来のものが用いられました。
ということで、「カラマーゾフのお姉さん」さんの疑問に答える形で纏めてみますと、

イ:この保護色の星の帽子を身につけるのは戦場においてなのか

その通り、保護色の星の帽子は基本的に戦場用ということになりますが、保護色の帽章がなければ、従来の赤星帽章が用いられました。

ロ:年代によって制定が切り替わったのか

1941年1月以前には、紙の上でもイラストに描かれているような保護色で帽体と同生地の眼庇を持つフラーシュカは存在しませんし、帽子の星章もおそらく1941年8月以前には少なくとも部隊には届いていなかったと思います。

ハ:個人の自由(赤い星と保護色を身につけた兵士が混在する状況もある)のか

これはキットに再現された1943年から1945年の戦時下の状況になるのですが、実際の写真を見ていくと、ピロートゥカであれ、フラーシュカであれ、保護色化が規定されたにもかかわらずシャープカ=ウシャーンカも、赤色の星章が用いられていることの方が多いようです。その理由としては、当該部隊の物資の状況もあるとは思いますが、個人の自由というか、好みによるという要素も多分にあると思われます。例えば、一般的に確認しやすいと思われるOsprey社のMEN-AT-ARMS SERIES:216の"THE RED ARMY OF THE GREAT PATRIOTIC WAR 1941-5"の45ページ写真のパヴリューク大尉は保護色フラーシュカに明らかに槌鎌部分が別パーツの1936年型、すなわち赤色の帽章を付けています。

キットに関して

たいへん良く出来たキットなのですが、実際の製品と箱絵には若干のズレが見られます。また箱絵の色彩は工夫を凝らしているとは思いますが、兵科色などが、塗料指定をしておらず、一般的にはわかりにくいと思いますので簡単に説明します。

まず全般的に、箱絵から判断するとこの兵士たちは歩兵になります。したがって、肩章はキイチゴ色(малиновый)の玉縁になります。また保護色の台地は箱絵のように服よりも濃いめの色合いにすると模型的に映えると思います。将校の縦線や下士官の横線はボルドー色と規定されていますが、実際にはワイン色というよりもやや暗めの赤色の方が良いと思います。いずれにせよ、玉縁と縦線・横線の色合いは大きく違います。また、帽子、上着、ズボンの色合いは、高級将校を除いて一致していることは稀で、少しずつ色合いを変えた方が模型的にも映えると思いますし、現実に即した再現になっていると思います。保護色のフラーシュカは上着よりも暗め、ピロートゥカは明るめ、というのが肝要と思います。

まずAの上級中尉殿。
まずベルトのバックル類はクロームメッキの銀色にしてください。真鍮色にすると戦後になってしまいます。また左胸に2つのメダル(勇敢メダルとスタリングラード防衛メダル)を付けていますが、イラストレーターも逡巡したようで、なぜか、勇敢メダルの上部に赤文字が描かれていますが、勇敢メダルの赤文字は中央部と下部だけであり、途中まで赤文字が上部のみにある戦功メダルを描いていたようです。実際のキットを見ると、2つのメダルの大きさに差がないので、実際に製作するときには、戦功メダルとした方が良いと思います。そうなるとリボンが変化しますので、灰色に青ではなく、灰色に黄色(DやEのイラストを参照)としなければなりません。また
スタリングラード防衛メダルのリボンの地の色ももう少し薄めにした方が無難です。なぜなら、このリボンの色彩ではパルチザンメダル1級と混同されかねないからです。肩章の星の色合いはイラスト通りとしてください。ただ、肩章のボタンは保護色でも結構です。歩兵なので肩章には兵科章は付きません。

Bの大佐殿。
彼の上着(キーチェリ)に関してはなかなか難しい問題があります。
まず、イラストでは胸ポケットの蓋にはボタンがありませんが、実際のキットにはボタンがモールドされています。イラストには襟と袖に玉縁がありません。戦争中にイラストのような玉縁のないキーチェリは実際に存在していたようです。またキットのように胸ボタンのあるものもありました。ただし、どちらもイレギュラーなキーチェリです。当時の写真を見る限り、概して玉縁のないものは胸ボタンがあることが多いのです。一般的なキーチェリは襟の前あわせ部分と上端、および袖口の縫い合わせ部分に、歩兵科であればキイチゴ色の玉縁が施され、胸ポケットは蓋だけで、ボタン留めではありません。
どちらを選択するかは製作者の判断によりますが、玉縁があった方が、模型映えするように思います。ただし、ズボンの側面に玉縁を付ける必要はありません。
次に勲章類ですが、キットには右胸にスヴォーロフ勲章と赤星勲章2個、左胸に赤旗勲章2個とメダル2個がモールドされています。イラストでは左胸に関してはモスクワ防衛メダルとスタリングラード防衛メダルと相応しい選択をしていますが、右胸のスヴォーロフ勲章を2級としているのは少し無理があるかもしれません。というのは、2級の対象は軍団・師団・旅団の各長および同等の代理と司令部要員なので、この大佐はそういう人になります。となると、かなり規模の大きい部隊の長および司令部要員となります。実際にそのような大佐は存在しますが、ここは3級に抑えるのも一考だと思います。イラストの金色部分を銀色にすれば3級になります。スタリングラード防衛メダルのリボンについてはAをご参照ください。
続いて肩章ですが、キットもイラストも肩章の形状が六角形になっていますが、五角形にした方が無難です。星やその他についてはAをご参照ください。

Cの交通整理員

腕章の黒丸部分の周囲に白枠を付けると、より規定に忠実になります。
ベレーとスカートは濃い青色でも保護色でもどちらでも構いません。模型映えする方をご選択ください。

Eの運転手

左胸の一番右のメダルのモールドが他の2つよりも大きいので、勇敢メダルとした方がよいと思います。リボンの色はAのイラストの灰色と青の組み合わせで、メダルの赤文字部分は中央部と下部にあります。

とりあえず、以上です。急いで纏めましたので、乱筆があると思いますが、その点はご容赦を。
129 返信 Re:ソ連軍軍帽の星について ヴェノーフ 2009/02/01 14:09
> とりあえず、以上です。急いで纏めましたので、乱筆があると思いますが、その点はご容赦を。

乱文です。乱文失礼しました。
130 返信 ReRe:ソ連軍軍帽の星について カラマーゾフのお姉さん 2009/02/01 21:42
>ヴェノーフ様
この上なく詳細な内容で恐縮です。
しかもキットに即した考察までしていただいてまことに感謝いたします。
調度本日よりメダル部分に取りかかるところでした。
正直あまりソ連物は手がけたことがありませんでしたので、なかなかソ連の軍装も奥が深いな感じいった次第です。
本当に参考になります。ありがとうございました。
131 返信 Re:ReRe:ソ連軍軍帽の星について ヴェノーフ 2009/02/02 11:56
>カラマーゾフのお姉さん様

お役に立てて何よりです。製作途中に再び疑問が生じましたら、
忌避なく、ご質問ください。出来る範囲ではありますが、対応致します。
メダル自体の細部などは様々なサイトを参照してください。
完成品を拝見するのを楽しみにしています。

134 返信 >ブダペシュトにおける第2親衛機械化師団の戦車兵 ヴェノーフ 2009/04/10 23:18
誤って模型版に書いてしまったので、こちらにも書きます。

参考にした当時の写真では手袋をしていません。
寒そうなのになあ。

135 返信 Re:>ブダペシュトにおける第2親衛機械化師団の戦車兵 ヴェノーフ 2009/04/10 23:20
将校は革手袋をしているのに・・・。

136 返信 Re:>ブダペシュトにおける第2親衛機械化師団の戦車兵 ヴェノーフ 2009/04/27 11:23
1950年代半ばの戦車帽についての補足説明をいたします。

作例の戦車帽の出現時期は不明ですが、
1940年代末に出現していた可能性もあるようです。
また次世代のものがいつ出現したのかも不明です。
いずれにせよ、1950年代後半に一般的な戦車帽は作例のような形状のものだったようです。

ところで、作例では、
左耳垂れ側面に3個のホック(受け)があるものを製作しましたが、
これが4個のものもあります。
また、右耳垂れ下部のボタンは、作例では外側についたタイプを製作しましたが、
内側につけられたものもあります。
これらの違いが、製造年によるのか、製造工場によるのか、サイズによるのかは不明です。



138 返信 ソ連軍使用の防弾ベストの名称 赤いお母さん 2010/01/08 19:27
ソ連軍使用の防弾ベストの名称ですが、
今までは『Афганистан:Война разведчиков(アフガニスタン:偵察兵達の戦争)』の解説等を参考にしていましたが、
ロシアのサイトなどを見ると、どうやら正確では無かった様です。

例えば、同書p.29のキャプション中で、「軽防弾ベストБЖ-85Т(6Б2)」と説明していますが、
この写真のタイプはБЖ-81(6Б2)の様です。

また現物資料のスタンプに「6Б3-M-01 32 200 56 09 87」とあり、
末尾の数字が09/'87年と思われたので1987年型としましたが、6Б3タイプは1985年型の様です。
別の6Б3-M-01の現物資料は「... 12 88」となっていたので、単に製造年の様です。

同様に、6Б5-19とスタンプのある現物資料の末尾の数字が「90」であったので、
これを1990年型としましたが、1986年型の様です。


よって当サイトの中で使用している名称を、下記の様に訂正しました。


1985年型防弾ベスト(БЖ-85Т/6Б2) → 1981年型防弾ベスト(Ж-81/6Б2)
1987年型防弾ベスト(6Б3)      → 1985年型チタン防弾ベスト(6Б3/Ж-85Т)
名称不詳               → 1985年型セラミック防弾ベスト(6Б4/Ж-85К)
1990年型防弾ベスト(6Б5)      → 1986年型防弾ベスト(6Б5/Ж-86)


6Б4/Ж-85Кは、量産自体は1984年からの様ですから、1985年型とは言いにくいかも知れません。
Ж-xxというのは、19xx年式の方が正確かも・・・。

また試作型を含めた名称に関しては、サイトによって微妙に違う様です。
この辺りは特に、形式を特定しない限り6Бx/Ж-xxシリーズという感覚で記述していきたいと思います。

特に6Б5/Ж-86は、防弾プレートの素材などで、色々バリエーションがあるみたいですね・・・。
カバーは、緑色・灰緑色の様々な色彩のカプロンで作られたものの、
国内軍とKGBには2色迷彩、空挺軍と海軍歩兵には3色迷彩の木綿製カバーだったというのは、面白いですね。



下記のサイトを参考にしました。
私は、興味のある部分だけを、ざっと斜め読みしただけですなのですが、
興味のある方には参考になるかも知れません。

ttp://guns.arsenalnoe.ru/m/4190/otechestwennye_armeyskie_bronezhilety..html
ttp://www.shooter.com.ua/Zaschyta/Bronezhylety_Sovetskoi_Armyy.html
ttp://www.gunscity.ru/index.php?newsid=263
ttp://oct1000.narod.ru/brony.html/

139 返信 戦後のチェログレイカ 赤いお母さん 2010/04/23 17:03
最近、キットレビューを書くに当たって1969年規定以降の将校/長期勤務兵と兵下士官(徴集兵)の防寒服を調べ直していたのですが、
この中で良く分からないな・・・というのがチェログレイカ(телогрейка:綿入れジャンパー)です。

そのモコモコとしたキルティングのシルエットは、
外套と並んで、大戦中の赤軍兵士のイメージとして印象的な防寒服ですが、
50年代には通常の服装規定からは姿を消します。

変わって兵士の作業服もしくは野外服として存在するのが、
綿入れクールトカ(ватная куртка)です。
これは50年代の物(正式な導入時期については知りませんが)、そして1969年に導入された物があります。
徴集兵用の冬季作業服として制定された50年代の綿入れクールトカに代わり、1969年に導入されたクールトカは、
'73年に野外服/作業服に制定され、'88年規定で再び作業服に戻されます。

と、同時に'88年規定で綿入れクールトカと共に、冬季作業服として再びチェログレイカが導入されます。
この新型チェログレイカは、以前物と同じ様な作りですが、
キルティングがされておらずモコモコとしたシルエットにはなっていないので、かなり印象が違います。

つまりチェログレイカは、規定上は'50年代頃より姿を消し、'88年規定で再び姿を現すわけです。

所が、実際には戦中型と殆ど姿を変えない物が、
'60年代にも製造され、かなりの長きに渡って着用されている現実があります。
また'88年に導入された新型チェログレイカも、
手持ちの製品を見ると、ズボンにはТУ17-1200-74、ジャケットはОСТ17-40-85のスタンプがあり、
それぞれ'74年型、'85年型と呼べる物である事が分かります。
『普段着としてのハベー』の中でも、著者の上野智史氏は'74年型防寒服としています。

この規定書に掲載されていない時期のチェログレイカがどういった物だったのか?
国防省・内務省・KGBの管轄外の組織向けに作られていた物が流用されていたのか、
或いは特殊被服扱いであった故に、通常の服装規定書には掲載されていなかったのか、
・・・疑問は消えません。
140 返信 Re:戦後のチェログレイカ 赤いお母さん 2010/06/01 15:12
久しぶりに自分のノートを読み返していて、
『Военная Одежда Вооруженных Сил СССР и России(1917 - 1990-е годы)』のp.295に
'74年型チェログレイカに付いての記述があるのに気付きました。

こういう場合、キチンと日本語訳を残しておいて良かったな・・・と思う反面、
チャンと読んだはずなのに、すっかり忘れているな・・・と凹みもします。


「ソ連陸軍の兵役年限内の兵下士官と、軍事建設要員の装備の一式の中に、
保護色の木綿生地製で、刺し抜いたキルティングの無い
チェログレイカと綿入れ乗馬ズボン(Ватный шаровары)もまた導入された。
チェログレイカは、シングルで、折り襟と側面の貼り付けポケットが付き、隠しボタン留めだった。
縫付式肩章と、それに付ける現行型のエンブレムは保護色だった。
乗馬ズボンはストレートカットで、キルティングされた高い腰回りと、
保温フラップ、ミシン縫いされた膝当て、右の前部に貼り付けポケットが、側面の縫い目に縦ポケットがあった。
ズボンの下部に、スリットと、リボン状の閉め紐が付いていた。

 チェログレイカと綿入れ乗馬ズボンは、
温暖な気候地域の部隊や兵団、軍教育施設に対して、
冬季野外における兵士達の教育達成の保証の為、定員数の50%で、備品の防寒具として割り当てられ、
外套の下に着用され、
その他に、自動車・トラクターの機材を取り扱う軍人に、冬季特殊被服としても渡された。」


この文章は1974年4月付ソ連国防省命令第85号に関する一部で、
1973年規定に沿って、1974年に出版された規定本には、掲載が間に合わなかったのかも知れません。
ただ同じ命令で導入された兵役勤務年数の袖章などについては記載があるので、理由は別の所にあるのでしょう(後述)。

このチェログレイカは、寒冷地域や熱帯地域以外での、野外教練用防寒服として、
部隊に対して、定員の半分の数しか貸与されていなかった事が分かります。
自動車・トラクターを扱う軍人により、個人装備の作業服として使われる事も含めて、
冬季特殊服という事なのでしょう。
それ故に、'74年版の規定本には掲載されていなかったと思われます。
(同様に、戦車兵用の被服等も特殊被服故に、規定本には掲載されていません)

外套の下に着用する事を想定しているというのも、チェログレイカらしいな・・・と思います。

これが、'88年の規定を元にした'89年版の規定本には、
冬季作業服として、このチェログレイカが掲載されています。
これはこの服の使用区分が、冬季野外教練服・特殊作業服から、通常の冬季作業服に変更されたという事でしょう。
また、部隊単位から兵士個人の持ち物に、供給方法が変更された様にも思われます。
更にはまた、着用例のイラストでは、チェログレイカ単体での着用の様子が描かれており、
外套の下に着用する方式が変更された(或いは、作業時には単体での着用も認められる様になった)のでしょう。